一より習ひ

「稽古とは一より習い十を知り、
 十よりかえる元のその一」なのだそう。
 和の世界をマイペースで巡る
 植田伊津子の徒然記です。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -

100円ショップの茶筅と懐紙

隣町に出たついでに、100円ショップの「ダイソー」に立ち寄った。

というのも、ラッピング用の透明な袋を買いたかったからである。わたくしは頻繁にこちらに行くわけではないが、行ったらだいたい全棚をじっくり見て、「えー、こんなのも100円なの!」と感心しながら時間を費やすことになる。

今日は抹茶の茶筅が、和食器の棚で売っていたのに気づいた。すごい! 皆さんはご存じでしたか? 

さすがにこれは100円ではなく、300円(税込で315円)の商品。けれど、茶道具店で茶筅の一般品は約3000円である。お稽古用の数穂でも1000円ほどの値段がするので、こちらは格段に安い。

ところで、茶筅には、濃茶用と薄茶用、そして天目茶碗でのお茶を点てるときに使う天目用の種類がある。一般的に見かける茶筅は薄茶用で、こちらは濃茶用のそれに対して穂の数が多い。

薄茶用の茶筅でよいものは120本立てや100本立て、それから80本立て、数穂(約70本前後)というような種類がある。
濃茶用の茶筅は薄茶用よりも穂の数が少なくて、中荒穂や荒穂などと呼ばれている。およそ40〜60本立てだろう。

茶筅の穂の数が多いほど、製作時に竹を割く高度なテクニックがいるので、高い値段になっていく。
また、煤竹(表千家)、黒竹(武者小路千家)、白竹(裏千家やその他)といった竹の種類によっても値段が異なるし、高山茶筅などの国内のブランド品は中国製にくらべて高価である。

ダイソーの300円茶筅は60本立てなので、薄茶に使うよりも濃茶を練るのによさそうな本数。とはいえ、わたくしは自宅できまぐれに濃茶を練ったりしないタイプ(ちなみに薄茶は、だいたい毎食後やおやつの時間に飲んでます)。

買っても使わないかもなー、けれどいつも以上に手首のスナップをきかせたら薄茶でも使えるか……などとブツブツつぶやきつつ検討。ま、値段が値段だから文句はいえまい。製造は中国製。

ところで、これだけ安ければ、いろいろ使いようがあるような気がする。はじめて小さな子どもに茶の湯を体験してもらうときなどに、各自にひとつずつ茶筅をプレゼントすることだって気軽にできそうだ。

また茶筅の横では懐紙も売っていた。こちらはひとつ100円也。それもまたまたびっくりしたことに「各御家元好み」と包みに記してある。大創産業の家元好みの懐紙なんてものがあったのか……。マジ?


お稽古・茶道 | comments(2) | trackbacks(0)

和樂3月号特集「利休さんに学ぶ、茶の湯の『き』」

沖縄旅行以後、「まったくブログのほうが更新されてないじゃないですか?」と言われるわたくしであるが、烏兎匆匆として時間が流れてゆく。昨日までは京都におりました。

今日は少しだけお仕事の話を。

さて先週訪れた小学館の編集部で「3月号、売れてますよ!」と、『和樂』の副編集長、高橋木綿子さんからうれしいお知らせ。そりゃよかった。
編集長の五十嵐さんからも「お茶の人たちが、たくさん読んでくださっているみたい」と声がかかる。少し胸を撫で下ろす。



すでにご覧になっている方もいるかもしれないけれど、今、発売中の『和樂』3月号の「利休さんに学ぶ茶の湯の『き』」特集の編集にかかわった。(「『き』は何を意味しているのでしょう? 利休さんの『気』、『器』、『期』……?」と何人からか質問を受けた。『基本』の『基(き)』のつもりでした。少しわかりにくかったかもしれませんね。)

わたくしはこの仕事で、武者小路千家家元後嗣の千宗屋宗匠とはじめてお目にかかった。わたくしが実質担当したのは宗匠監修の約30頁ほどだったのだけれど、作業中はエキサイティングな日々で、わたくし自身、この仕事によってどれだけ目に見えないものを学ばせてもらったかわからない。
ご協力いただいたすべての方はもちろん、何より千宗屋若宗匠に謝辞を捧げたい。

最初わたくしは、昔、裏千家の機関誌を出している出版社に在籍していたせいもあると思うのだけれど、流派の家元後嗣というお立場である宗匠と「じかに」お話をすることに、まずとても緊張した。
会社員時代には、家元や、それにごく近いの方と仕事をおこなうなどという機会はわたくしには巡ってこなかったからだ。

だから今回の話をもらったときに、果たして自身が編集を担当するのに妥当な人物なんだろうか……といささか不安に思っていたものの、顔を合わせた宗匠から「植田さんのブログ、存じていますよ」と声をかけてもらって、とても光栄な気持ちに包まれ、「一緒に仕事がしてみたい! 利休さんにつながる立場の方と話す機会なんて、たぶん一生に一度しかないだろう」とやる気が沸々と湧き上がってきたのであった。
作業中はほんとうに幸せな時間だった。

若宗匠は茶の湯界の次代を担う茶人であると同時に、日本美術の学識も豊か。それは昨秋上梓された『茶』(新潮新書)を読めば明らかで、わたくしはあんまり内容がおもしろかったので、いろんな人に配って歩いていたほどである。少し話がずれてしまうが、本書についても少し触れておきたい。



これは「茶の湯はひと言でいえば、いったいなんなの?」「どうしてこんな道具ができたの?」「そこにはどんな美の視点があるの?」……日頃親しんでいる茶室や茶道具、そして茶の湯の核心ともいえる茶事のもてなしについて、茶の湯のあらゆる「what?」を、次期家元という“茶の湯世界の内側”の立場から平らかに解説したものである。

これまでの茶の湯解説書と決定的に違っている点はひとつ。

流派のトップとして、また茶人として生きてきた著者が、一人称でロジカルにお茶を解説している点だと思う。だから研究者の言葉、街のお茶の先生ともまったく異なる茶の湯の解説書となっている。

利休が遺した道具を実際に持つことができ、それを身近に置いて茶の湯をおこなっている人が、“揺るぎない実践”を踏まえながら、日本美術史や茶道史をも背景にして、茶の湯の世界を語っているといえばわかりやすいだろうか。

「お茶の先生」と「茶人」との間には、明確な違いがあると著者はいう。「茶人」という言葉に込められる著者の思いは深く、実践のお茶(茶事)こそすべて、といいきる姿勢にみずからの茶の湯に対する宗匠の絶対的な自負が透けて見えるだろう。

全体は、「誤解される茶の湯」「茶の湯の歴史を駆け足で」「茶家に生まれて」「利休とは何ものか」「茶席に呼ばれたら」「茶道具エッセンシャル」「深遠なる茶室」「茶事はコミュニケーション」というような章立てとなっている。
どの章を読んでもいても、整然とした理知的な言葉で簡潔な説明が尽くされていて、そうだったのかと頷くこと多し。とにかく『見えている風景が違う。やはりプロフェッショナルはすごいな』と、わたくしなどは感じてしまった。

本書は、わたしたちの歩んでいる先を、灯りを照らして案内してくれる心強さがある。この道をもっと深く進んでみたい、という気持ちになる一書に間違いない。

さてさて、いつものことながら、わたくしのブログは話が脱線してしまう。『和樂』のほうも話しておかねば……いけない。

今では当たり前として見ている楽茶碗も、2、3畳の小間も、そして茶の湯初心者が一番最初に学ぶ平点前も……今の茶の湯の原点をたどっていけば千利休に行き着く。利休さんが築いた功績を再認識しながら、茶の湯の原点を1時間で学べるのが本特集である。

利休さんを知るには一生かけても足らないのは重々承知の上で、『でも1時間で利休さんのエキスを吸収してみるとしたら……』という無謀な挑戦に挑んでみた。
構成については、和樂編集部、わたくし、そして若宗匠の3方向からいろんな提案がなされ、初心者からベテランの方々まで、見応え、読み応えのあるものを目指したつもりである。

その結果、ただいま注目のカメラマン鈴木心さんに
利休の代表的な茶室や茶道具を新撮してもらう頁をつくったり、林屋晴三さん(陶磁研究家)×若宗匠のスペシャル対談の他、利休が秀吉に命じられてプロデューサーを務めた北野大茶湯をイラスト解説する頁、また利休の茶道具、基本の「き」”ともいえる利休道具をぎゅっと凝縮して見開き2頁で紹介していたりもする。

本ブログの皆さんは「そんなの、知ってる!」事柄かもしれないが、雑誌という一過性の媒体ではあるものの、手許に置いて読み返してもらうことを念頭に置き、茶人に役立つ項目を厳選した。

よろしければ、ぜひお買い求めくださいませ(^_^)。


お稽古・茶道 | comments(5) | trackbacks(0)

大人の学び

今年に入ってから、一度も定例土曜日のお茶のお稽古にうかがえていない。先週は、官休庵さんの初釜にお招きいただいたのでお稽古をお休みした。その前の週も、土曜に用事があったので、別の日に振り替えてもらった。

今日は、イレギュラーでうかがった奥さまクラスで感じたことをお話しようと思う。

平日昼間クラスは、土曜組と異なって、生徒の構成が家庭の奥さまたちが中心となっている。反対に、平日夜、もしくは土曜クラスのほとんどが有職者たち。こうした傾向は、どこのお稽古場でも同じだろう。

昼間クラスで、わたくしがお客さま役だったときのこと。そのお点前をされていたのがKさんだった。

Kさんはとても若々しく見えるのだけれど、歳は60近辺の方で、この教場へ30年ほども通われているベテランである。昔は稽古場の近辺に住んでいたらしいが、今は横浜にある自宅から毎週1時間半をかけていらしている。

初釜の際に、「長時間をかけて通うのが、体力的につらくなってきました。今年はお稽古に通う回数を少し減らそうかなと思っています」と正直にお話になっていた。
「まあ、そんなことを言うのはまだ早いわよ。がんばって通ってきてください」と、Kさんよりもっとご年配の方や師が笑って応答されたりしていた。

さて、その日、じっと無言でKさんのお点前を拝見していたら、帛紗さばきのところで『ザッザッ』とかすかな音がした。
わたくしはこの音に聞き覚えがある。『働く母』の手の音だ。

主婦は毎日の家事によって、冬場はことさら手が荒れる。ハンドクリームをつけても追いつかない。指先がささくれ、手の甲全体が粉を吹いて乾燥し、日常的に擦り傷を負うのだ。
そういう人が点前で帛紗を扱うと、帛紗の絹に手のささくれが引っかかって『ザッザッ』と音がする。

わたくしも手がものすごく荒れるようになってしまった。会社勤めの頃は、たぶんおそらく、一般的な主婦ほどまじめに家事をしていなかったのだろう。日常的に手が荒れてみてはじめて、家族の生活を支える労働の実感が湧いた。

帛紗に引っかかるKさんの手の荒れの音を聞いたとき、実家の母が思い出された。母も、点前のときに、Kさんと同じ音をさせていた。冬になると、しばしばこう言っていたものだ。

「若い女性の手はいいわね。それだけで点前がきれいに見えるもの。わたしは、家事だけじゃなくて畑仕事でも手を酷使しているから、帛紗さばきでは音がするし、女らしく見えないわ。けれど……主婦をやめるわけにもいかないし……どうしようもないわね」
といいながら、風呂上がりにハンドクリームを手に擦り込んでいた。

手はその人を映す。
『ザッザッ』と音を立てながら帛紗をさばいて茶器を清め、毎回「点前の順番を忘れちゃったわ」といいながら、お稽古に通っている主婦たち。彼女らが、長いこと今の茶の湯を支えていることを忘れてはいけない。

わたくしは、なんというか……うまく言えないのだけれど、Kさんが荒れた手で点前をしている様子を見て、ちょっと涙ぐんでしまったのだ。
こういう「茶の湯」がもっと大切にされてもいいじゃないか、と思ったわけである。

日々の生活を大切にしている主婦たちが、長年お茶のお稽古に真摯に通ってきている姿を見ると、茶の湯という世界は何を成し遂げられるのか、という見えない目的に向かって突き詰めようとしているわたくしの「カタイ芯」ももちろん大切だとは思うものの、「きわめて個人的な、人間の楽しみとしての茶の湯」、いうなれば『大人の学び』の姿がとても愛おしくなる。

主婦たちにとっては、茶の湯の稽古そのものが生き甲斐になっているのだろうし、あらゆる悩み事をいっとき忘れさせてくれる貴い時間だったりするのだ。その道のプロになりたい人ばかりではないだろう。

道具もさほどもたず、茶室もなく、それでもお茶の稽古に通っている。その時間がその人にとってすばらしいものであるならば、誰もが茶の湯にかかわっている大きな意味があると、わたくしは強く感じたのでした。

お稽古・茶道 | comments(3) | trackbacks(0)

サライ特集・利休を訪ねる、他

バタバタしている今週でした。
なんとか時間を見つけてお稽古へ行く。金曜昼間のクラスに洋服で駆け込んだ。年あらためてのお稽古一回目が洋服とは、なんとも締まらない出だし。

今日の点前は入子点。
ただこれを普通にお点前するだけじゃ詰まらないという理由で、「この時期ならではの筒茶碗を使いましょう」と師からの指示が飛び、「どうせするなら、四滴の水滴茶器も使ってみます」とわたくしも申し出て、これら扱いのある道具を使用。
ふつうの小習の点前でも、それぞれ扱い方の所作が決まっている道具を使えば、点前手順に複雑さが増す。

ところで、なぜ、替茶器(たとえば四滴茶器)というものが存在しているのか。
茶道では、一般的に薄茶には棗を使うのが王道となっている。しかし、利休形の黒塗棗を「濃茶」に用いた場合、茶事の流れにおける「薄茶」では替茶器を用い、前席の濃茶の棗と異なった姿を取り合わせるほうが好ましいとされる背景がある。

前述した四滴茶器というのは、水滴・油滴・弦付き・手瓶のかたちをした四つ茶器でやきもの製。替茶器の定番として知られている。これらには象牙の蓋がついていて、濃茶器の茶入に似ている。


たとえば、こんな感じのもの。これは、なんのへんてつもないお稽古道具ですが……。

たとえば茶事の場合、濃茶・肩衝茶入(やきもの)→薄茶・棗(漆)という具合に道具を組むことが多いけれど、濃茶・黒塗棗(漆)→薄茶・やきものの替茶器、というふうに相互を入れ替えることもめずらしいことではない。

黒塗棗は、包帛紗や大津袋などの袋を添えると、濃茶器として使用できる。もともと漆塗りのやわらかい木の容器・棗は、利休のお師匠さん、武野紹鴎という人から使いはじめていたものだ。

利休さんは師匠が用いた棗をハタで見て、おそらく「すんごいカッコいいし、私が目指す侘び茶に適う道具だ!」と思ったのか、棗という道具に、侘茶のきちんとしたポジションを与えた。

どういうことかといえば、自分の茶席で棗を多用した。「私はこれが気に入っているですよ」。天下一茶頭として、秀吉臣下の武将たちに見せつける意図が本人になかったかもしれないけれど、対外的に利休のお気に入りの道具をアピールする結果となった。

そして棗の「好み」も確立した。塗りの職人たちに、「こんなかたちの棗をつくってよ。塗りは色柄を使わないで。黒塗にするんだよ」とプロデュース。
利休が好んだ棗は、利休の美意識を突き詰めたかたちや塗りとなったがゆえに品格の高い姿となり、現代にも伝わっている。

さて、今発売中のサライ(小学館刊)の特集は茶の湯。おもしろかったですね。いろいろと。
「利休を訪ねる」とのタイトルで、なんで朝日焼の茶碗が表紙なのかな、とは思いましたけれど。朝日焼といえば、利休より後年の大名茶人・小堀遠州が好んだやきものとして有名なもの。
利休のシンボリックな茶碗なら、違うもの(楽茶碗とか)のほうがしっくりくるはず。この表紙に「どうして???」と思った茶人も多いのではないでしょうか。




お稽古・茶道 | comments(11) | trackbacks(0)

巧匠会茶会(2)

先週末は初釜でした。次の日も、別のお誘いで初釜の連チャン。
一月は初釜ネタからはじめたいところですが、今日は、先月の巧匠会(こうしょうかい)茶会の続きを書いてしまいます。

本記事は、先月書きかけのまま放置していたもの。わたくしの場合、茶会レポートは、いつもの記事より書くのに時間がかかります。だから心に余裕がないと書けない。仕事に追われているとますます書けないわけで……遅くなってごめんなさい。

このところ仕事全開モードのため、今年は初釜のことをブログに書けるかどうかわかりません。書けそうならば、取り上げたいと思いますが……。

さて、巧匠会前回の記事はこちら。先にそちらに目を通されてから、本日の記事をお読みください。

----------------------



日常生活において『もてなす』というとき、それなりの準備をするだろう。わたくしもそう。
来てくれる人に喜んでもらいたいな、と自然に思う。
お茶会で道具を組むという行為も、それとまったく同じ線上にある話。どんな茶道具を使って、そこにどんな「物語」を与えるか、その采配をおこなうのが亭主、茶会における席主の役割である。

巧匠会当日は、各流派のいろんな席がかかっていて楽しかったと先日書いた。手前味噌にはなるが、そのなかでもわが師の席が、茶会の主旨に席主の気持ちが寄り添っているようで、個人的に興味深かった。

席主は、このように口火を切った。
「この茶会の席主の依頼をお受けしたのが2年前。他の席主の方のように、わたくしは流派の高い立場にある人間ではないので、どんな道具を組めばこの茶会にふさわしいかをずいぶん考えたものです。そこで、わたくしは、巧匠会の歴史を彩ってきたゆかりの方の道具を中心に集めてみました」

わたくしは、巧匠会のメンバーをほとんど存じなかったので、へえ!と感嘆するばかり。
ところが、メインの主茶碗が戸田即日庵・勝久(宗安)先生の尊父、戸田宗寛先生手びねりの赤楽であった。席中のわたくしは自席で静かに激しく反応した。「宗寛先生ですか!」と。



わたくしは、先代の戸田宗寛先生を間接的に知っていた。深い見識を持った昔気質の厳しい先生、という噂を聞いたことがあったし、わたくしが淡交社に入社するもっと以前、『なごみ』に載っていた宗寛先生のインタビュー記事を学生時代に読んだこともある。宗寛先生は、「巧匠会」の名付け親なのだそうだ。
(宗寛先生は、『裏千家茶道入門』東都書房刊、『茶の湯無古無今』講談社刊、『裏千家お茶事入門』講談社刊という本を上梓されている。絶版だけれど、図書館などで借りることができる)

というのも、わたくしが淡交社新人時代より長く『なごみ』で連載執筆されていたのが、宗寛先生の息子、戸田勝久(宗安)さんだった。
当時、毎月編集部員のひとりとして、戸田先生の原稿を読んではいたが、じつのところ、その頃は何の事を書いておられるのかまったく理解不能。小娘には歯が立たない内容だったのだ。しかしそれから20年経った今、戸田先生のおもしろさが、ようやく少しだけわかるようになってきたと感じている。

つい最近も、井伊直弼の茶書の名著『茶湯一会集・閑夜茶話』(岩波文庫刊、戸田勝久校注)を読み直したところだった。先生の細かい校注は、あいかわらずむずかしめ。けれど、あらためて井伊直弼の茶の湯観に感じ入ったのは、戸田先生の校注のおかげだったように思う。




さて、茶会のほうに戻ろう。
薄茶器は、あの
渡辺喜三郎の金輪寺。木目を生かしたデリケートな塗りをほどこす職人として、今でもたいへん人気が高い人。現在、畠山記念館に懐石道具のコレクションがあることでも知られている。
茶杓は少庵写しの
二代瓢阿。不審菴所蔵の杓を写したのだろう。少庵は当然宗易形を踏襲したかたち。不審菴の本歌より蟻腰の部分がそれほどでもないようだ。二代瓢阿さんはメンバーだったひとり。
茶碗は先ほど説明した戸田即日庵の宗寛手びねりの赤楽で銘「よもやま」。こういうものは造形がうんぬんというよりも、人に添った目で見るものだろう。巧匠会にかかわった宗寛先生へのオマージュの一碗。


替茶碗は初代真葛(宮川)香山の祥瑞写し。横浜真葛焼の初代宮川香山は明治時代の名工。超絶的な装飾陶技で知られ、万国博覧会で絶賛された。喜三郎や香山は巧匠会のメンバーではなさそうに思うが、関東つながりなのかな。→あとで聞いたところ、喜三郎は巧匠会の設立メンバーとのこと。なるほど!


炉縁は、現代の巧匠会メンバー前島秀光作で、酒造古材を用いたものらしい。前島さんは木匠会を主宰するなど独自の活動をしている方。煙草盆もこの方の作。
織部好の真形釜は明治〜昭和初期のメンバーのひとり、山口浄雄さん。現在は3代目の山口孝雄さんが跡を継いでいるという。


棚は、宮中御用指物師であり、茶の湯指物師でもある竹内不山作の寒雲卓(圓能斎好み)。大正〜昭和にかけて活躍したという。不山の弟子には、のちの人間国宝となった
中臺瑞真がいる。巧匠会のメンバーの一員だったのか。


水指は大野鈍阿の斑唐津の片口。鈍阿といえば、数寄者の巨人・益田鈍翁に重用されたやきもの師。益田鈍翁の一字「鈍」から、「鈍阿」と名付けられた。大正から昭和初期、鈍翁所持の名品を手本として、素焼、楽焼、萩、唐津、三島など幅広いのやきものを手がけている。
この片口は、本来水指でつくられたものではないのだろう。鈍阿も巧匠会とは関係なさそうだけれど、関東つながりでしょうかね。

ほかに、「曽呂利」の花入は岡崎雪声、菓子器は鎌倉彫の後藤博古堂、香合は板谷波山など。床は三井高保(華精)の和歌懐紙だった。


それにしても関東以外の方には、マニアな道具組ではなかろうか。
全国的に見たらすごく「的が狭い」ような気がする。しかし関東在住の茶道具作家で巧匠会メンバーというものは、そういうものなのだろう(地域の物づくり作家は、その地域の茶人がバックアップしていたに違いないのだから)。

ともかく、今の巧匠会メンバーならまだしも、少し前である近代の巧匠会メンバーの茶道具を探すのは半端なくむずかしかったと推察する。だって、これらはそんなに出回っているタイプの茶道具とは、到底思われない。
おそらくこういう方々の作品は、その代の茶人本人の思い入れが強いものだろうから、代替わりしてしまったら収蔵庫の奥に仕舞われているか、茶の嗜みがない後継者の家ならすでに処分していそうだ。

これらの道具をコツコツと集めたわたくしの師は、おもしろい人だと思う。
個人的にはこういう変化球みたいなマニアな道具組もテリトリーなので、いろいろ楽しめたわけです……ただ、300人もの人が参加する大寄せ茶会のパーセンテージからいえば、
わたくしみたいな人間は、さほど多くはなさそうだというところだけが気になる。

茶会が主客交歓の場だとすれば、客が道具に感応してくれないと、亭主側はいちいち「この人はね、こういう人でね」と説明をおこなう。それは啓蒙だろう。だからといって、大寄せは誰もがわかる道具を組まなきゃね、ということになったら、それはそれでポピュラリティの塊みたいな場ともいえ、茶の湯に関する深い見識を交歓し合う場にはならない。

大寄せ茶会の道具組とは、詰まるところ「詰まらない」ともいえる。大寄せに箱書のあるものが並びがちなのは、箱書さえあれば「すごいわ!」と誰もが感心して反応できる……そういう点を考えると、この道具組はある種のむずかしさを感じたのでした。

わたくしは、せっかくならば、どういう茶会にいっても、その亭主の心入れの道具組を深く味わいたいと思っている。茶会の醍醐味とはなにか。茶席でいつもただ「へえー」と感心するのもいいが、亭主が投げているボールを、即座に客側が打ち返してこそのコミュニケーションが、お茶のいちばん「大切な部分」かもしれないと感じているのである。

とすれば亭主は、自分の組む道具組が、自己満足ではなく、きちんと客の心に届いているかを考え続けるべきであろうし、客も同時にまた、茶の湯に対する興味を
つねに深めていく努力をしなくてはいけないような気がするのだ。その先の風景が見られるかどうかは、自身にかかっている。


お稽古・茶道 | comments(3) | trackbacks(0)

冬の茶の湯における身体感覚

お正月をはさんで、思いがけず大雪に見舞われた実家。晦日の朝、目覚めたら、50cm近くの雪が積もっていた。
実家は約築90年ほどの建物で、生活空間は部分改装をして冷暖房を完備しているが、雨戸を引く室は昔ながらの建具なので、すきま風に見舞われる。
油断をしていたら、廊下に雪が積もっていたりするのである。東京の比ではない。ほんとうに寒いのだ。

外出したとき、幹線道路の温度計が示していたのがマイナス4度。
寒さに耐えきれなくて、ヒートテックのタイツを購入した。タイツを2枚重ねて、なおかつ防寒の厚手の靴下をはくのである。上半身もヒートテックの上にセーターを着て、フリースを着用。
このまま暖房の部屋にいたり、少し動いたりすればかなり暑いわけなのだが、そうではないところではこれぐらい着て普通。

サッシに囲まれた東京の自宅にいると、薄着でうろうろすることが普通になっているけれど、実家に戻るたびに、室内にいるのにジンジンと足の指の感覚がなくなるような寒威を感じて、「ああこれこれ。そうだった。冬は『寒い』のだった」と強烈に思い出すことになる。

さて、日本家屋の中でも茶室はとくに寒いのをご存じだろうか。

というのも、日本家屋の構造は、周りに廊下をめぐらして室をつくる。降雪地帯の家屋では、この廊下が冷気を和らげる緩衝材のような役目をしている。


たとえばわが家の奥の間の廊下。二方を板の間で囲んでいる。この幅によって寒暖の調節ができる。こうした廊下に雪が積もっていて、朝驚いたりするわけ。

ところが、広間でない小間の茶室は必要最小限の空間なので、室内を保護する構造ではなかった。かんたんにいえば、常に皮のないアンコのような成り立ち方をしているのだ。

小窓には障子のみ、そして四方を土壁に囲まれた小間の室内は、おそろしく寒い。
『土壁は、防音、防寒、防火にすぐれている』のは、倉ほどの厚さがある場合だろう。土の厚みが薄い茶室は、寒気をダイレクトに伝えるものだ。小間の茶室は、その壁のすぐそばに客が座ることになる。

ちょうど利休が小間茶室を創案した安土桃山時代は、世界的な小氷河期にあたり、今より0.5〜1度温度が低かったという。

ということは、たとえば実家のあの日の-4度の温度が-5度だったりするわけで、身体を温めるということが、冬の茶の湯にとって、どれほど重要な課題であったかを想像したい。
どんなすばらしい道具立てだったとしても、歯の根が合わない寒さなら、客も亭主も茶の湯どころではなかったはずである。

「きっと冬の茶事の食事(懐石)における『お酒』は、風炉の季節よりも大切だろうな。お酒を飲めば、まず身体が温まるものなあ」「冬の炭手前は、とくに緊張感があっただろうなあ。火が弱かったりつかなかったりしたら、とんでもないぞ」「口が狭くて、お茶の温度が下がりにくいかたちの筒茶碗が生まれるのは、当然の成り行きだっただろう」
などと、実家の寒ーい茶室にひとり座って黙考したのである。

冷暖房完備の現代社会にとって、この「寒さ」を理解するのはむずかしくなっている。寒い地方に育ったわたくしでさえ、日頃は寒さを忘れてしまっている。
茶事における酒も、炭も、筒茶碗も、頭では理解しているものの、身体感覚が弱い。だから、この趣向を、この所作の必然を、このかたちを、身体が欲しているという強い希求がなくなりつつある。

今の茶の湯ってままごとみたいかも、とふと思った正月です。
お稽古・茶道 | comments(0) | trackbacks(0)

巧匠会茶会

 巧匠会(こうしょうかい)当日。早起きをしてきものに着替えた。

定番どおり、色無地+袋帯にしようかな……と思っていたが、鶸色の無地場の多い小紋+伝統的な唐織のなごやという組み合わせに落ち着く。

この頃、だんだん関東のドレスコード基準が身体になじんできて、きものに頭を悩ませなくなった。
先月の宗旦忌にうかがうときなどは、当然、関西ドレスコードの組み合わせになるわけだけれど、それも「こんな感じだろうな」とほとんど迷わずあっさりと決まった。

きもの本の写真と茶会の現実のきものとが違うときは、茶会の場数を踏めば、自分のきものの溝が埋まってくるような気がする。
経験上、それがもっとも安全な確かめ方だと思うけれど、それには少し時間がかかるだろう。まずは気軽にお茶会にきもので出かけてみることだ。

ところで冬場の大寄せ茶会の場合、外で席入りを待つときに重要なのは防寒対策である。首元を冷やさないように、カシミヤのストールなどを用意しておくとよい。

冬の茶会でも、コートは荷物預かりに預けるのが常。
その場合、大判のストールは手許に残しておいて、それを羽織ながら各席を回るのだ。自分でも不恰好だと思うのだが、外で1時間も並んで風邪でも引いたら元も子もない。背に腹は替えられないのである。

現に今日も、ストールがなくて、震え上がっている方々が多数見られた。
抜かりのないわたくしは、前日お稽古場の先輩後輩に「洋服でも、きものでも、大判ストールが必須。寒がりさんは貼るホカロンも持参のこと」のお達しを出しておいたのである。深傷を負う人が出なくてよかった……。


こちらはまだ陽があるのでそれほど寒くなかったけれど、陽の差さない待合はかなり寒いし、冬は刻一刻と日が陰る。そりゃ12月ですから……。

それはさておき、本日おこなわれた茶会の主役である巧匠会とは、関東在住の茶道具作家たちの集まりである。
家元を支える物づくり集団といえば、京都の千家十職がまず挙げられるけれど、今から約60年以上前に発足した巧匠会設立の意義も、それと同じであるという。



巧匠会と密接な関係を持つ各流派の人たちが集まって、毎年12月の初旬の土日2日間、高田馬場の茶道会館で、「巧匠会茶会」を催しているのだそうだ。2日間で700人弱ぐらいの人数らしい。
本年は、石州流片桐宗猿派、鎮信流、表千家、南坊流、宗偏流正伝庵、小堀遠州流、大日本茶道学会、裏千家といった流派の人たちが席を受け持っていた。大きな流派は別として、小規模な流派は家元側近、もしくは家元自身が懸釜されるという由緒のある茶会とされている。

わたくしは裏千家流を学んでいるので、他の流派の点前を見るのがとてもめずらしい。その意味でもおもしろい茶会。こういう機会でもないと、ね。

(続く)


お稽古・茶道 | comments(1) | trackbacks(0)

後炭所望

木、金、土とお茶の振り替え稽古に行った。
最終日はわが教場の稽古納めで、先生に一年の御礼を申し上げる。
今年もつつがなく過ごせたことがうれしい。
最後のお稽古で茶杓の銘を尋ねられたときに、「『無事』です」という言葉が自然と出た。


今週の主菓子は、柚子まんじゅう(富士見ヶ丘・美よし製)。柚子のいい香り。
わたくし自身は、茶碗荘の薄茶、
続き薄茶、四ケ伝扱いの和巾点などを勉強。

なにかと慌ただしい日々であったけれど、少しずつお茶のある生活に近づいているような気がする。今年は自宅でもお茶をよく点てて、息子と服したのだった。

さて、肝心の皆勤賞は……今年もクリアできたのだそうで、初釜日に皆勤賞の賞品である干支扇子がいただけるとのこと。楽しみだ。

今週のお稽古は、あまりなされることの少ない『後炭所望』の巴半田が出ていた。後炭所望とは、茶事の連客に茶の道に長けておられる先輩がいるなどの場合に、その方に「炭を入れてほしいと所望(お願い)」するもの。

巴半田を持ち出した亭主は、いったん火のついている炭を半田に空けて、炉中の汚れた灰を底取りでさらって検める。それから、
半田の炭を入れ直す。きれいに炉中を整えて、つぎに新しい炭を入れやすい状態にしておくため。
客人に「どうかお申し合わせの上、炭をおつぎください……」とお願いするのだ。

連客のうちの茶の達人が炭を入れる役となり、点前座へ行く。亭主は茶道口でその様子を見守る。
後炭では、そのときどきの燃え方によって、炭を入れる数や位置を調整するわけなのだが、炭担当のベテラン茶人は、当然のことそれらは心得ていて「適当に」炭を入れる。

炭を入れたあと自席に戻ったベテラン茶人は、亭主に

「(自分の入れた炭が、よくつかないかもしれないからと謙遜)どうかお直しを」

というが、亭主は

「(あなたのような達人が入れたものを、直すなんてとんでもない)結構な炭で」

というような、まことに日本人らしい会話を交わすのが暗黙のルールとなっている。

それはさておき、じつに風情がある点前だ。後炭所望をおこなうと、主客の一体感が生まれ、「炉」という舞台での演出効果がより高まってくる。
わたくしもお茶事をすることになったら、お客さまに後炭所望をお願いしよう。該当する方々は、そのときはそのつもりでお越しくださいね。

ところで、明日は巧匠会(こうしょうかい)というお茶会で茶道会館へ行く。わが先生が裏千家の席持ちをされるのである。
今年のわたくしは、師が一年に数度となく席主をなされるときに、一度も点前や蔭点てを仰せつからなかった。

お客さま役でうかがってばかりで、うれしいような、裏方スタッフとなった皆さんに申し訳ないような……。来年はまた裏方役が回ってくると思う。
珍しい一年に感謝。


近所の紅葉。最後の力を振り絞っているのだろうか……。それにしても12月も10日を過ぎて、まだ紅葉がうつくしい。
お稽古・茶道 | comments(0) | trackbacks(0)

今日もまた、お稽古

昨日は洋服で駆けつけたお稽古だったけれど、今日はきちんときもの。久しぶりに結城を着ていく。合わせた帯は、80年ぐらい前のジャワ更紗の古布で仕立てたなごや。
暖かかったので、ストールだけ巻いてお気楽な恰好だった。

今日のメニューは、後炭と壺荘の練習。
そして、八景棚で濃茶をおこなった。「八景棚」は14世淡々斎の弟・井口海仙宗匠のお好みで、板を取り外せば、八通りもの棚の扱いになるすぐれもの。


かつての茶会で使用した八景棚の風景。このときは、地板の上にもう一枚板をわたして「桑小卓」(仙叟好み)的な扱いをした。

今日は、上の写真とは違って地板を取り外した扱いをする。
ということは、玄々斎好みの寒雲棚的な扱いとなる(そうした場合、いわゆる「運び」の棚として扱われる。点前における大切なポイントは、運びと同様、『最後に湯返しをしない』点。棚を使うと、条件反射的に湯返しをしてしまう人が多いかもしれないけれど)。

ことほどさように、いろんな使い方ができるものだからおもしろい棚なのだけれど、おそらく見る機会が少ない種類ではないかと思う。ちなみに、わたくしは仕事がらみを含めて、師以外の他所で拝見したことはなかった。

裏千家の教場でよく見る棚といえば、「更好棚」「丸卓」「五行棚」「杉棚」……など意外に限られているものだ。棚のお好みは数あれど、一般的にそれぞれのお稽古場で、本に載っているほど多くの種類を眼にしない。

棚の点前は種類によって多少扱いが異なるもので、それはいくら本を読んで勉強したとしても、実際に使ってみなくては扱いを覚えられるものではない。

わたくしは棚ならば木地の棚が好きなので、この八景棚などがとても好みである。井口海仙さんも好きな茶人。

お稽古・茶道 | comments(0) | trackbacks(0)

茶通箱

お茶の振り替え稽古で、金曜晩のクラスへ。今年も皆勤賞を目指して、12月に怒濤の振り替え稽古をおこなう。

今年はなかなか定例曜日にお稽古に行けず、皆勤賞は無理かなと思ったけれど、わがお稽古場では、月をまたいで振り替え可というゆるやかなルールのおかげで、なんとか皆勤を目指すことができる。目標があれば励みとなり、継続の力になる。ありがたい。

今日は、今週中にしておかないと、後で確実に首が絞まるというデスクワークが終わらず、夕方から大根と豚肉の煮物の晩ご飯をつくりながらも、まだ仕事を粘っていて、ようやくメインディッシュと味噌汁、そして漬け物を少々小皿に添えて家族分の夕食を整えたあとに、またもや仕事の郵送物の封緘作業に励み、ようやくそれら両方ともを終えて、お茶のお稽古にさあ行こうというときに、息子が鼻歌まじりに帰宅した。

とりあえず息子に「悪いけれどひとりで晩ご飯を食べて、期末試験の勉強をしておきなさいよ。お父さんが帰ってきたら、お母さんは出かけたと伝言しておいて」と声をかけて、自転車でビュンとお稽古場へと向かったら、肌を横切る風が師走にしてはあたたかく、こんな12月があるのだろうかと思う。

今日のお稽古は「茶通箱」。木箱に2種類の異なる濃茶をそれぞれの茶器に入れて持ち出すもの。
もともとはこれは「茶の通い箱」というものであったらしい。亭主が用意の茶と、客から到来の2種の濃茶を点て分けるのだ。表千家・裏千家とも相伝課目となっている。


玄々斎好みの更好棚にセッティングした茶通箱のこしらえ。客人が席入りする前に、茶通箱に2種の濃茶器を入れて持ち出し、ひとつの濃茶器を棚手前に置き、もう一種の濃茶器は箱の中央に置き直して、再度天板に置く。
この場合の濃茶器は2つとも茶入を使うと、取り合わせの姿が似るので、いっぽうの茶器は大津袋に入れた棗を使用するほうがよいとされている。
そうした場合の薄茶器は、濃茶器として黒の定型形の棗などを使うので、これまた姿が重ならないように、二引きの扱いをする形の変わったものを取り合わせるほうが好ましい(この写真では、二引きの日の丸棗)。



茶通箱の点前では、箱を扱うときに裏千家ではおもしろい手つきをする。わたくしは表千家のこれを見たことがないので、こちらの流派も同じような扱いをするのかどうかは知らない。

ロボットのように、といってよいのかわからないが、チマチマと手指を、右左、上下に動かすのである。わたくしなどには「なんでこんなことをするのか」という目的が判らない扱いで、装飾的な動きのように思える。

なぜ茶碗を回して客人に出すのか? お客さまに茶碗の正面を向けるためである。こうした理論は素人でもわかりやすい。しかし、理論的とはいえない扱いも、茶の湯という世界には存在する。

どうしてかわからないものを、そのまま受け入れることは気持ち悪くないかと問われると、わたくしはそうでもない。
そういうことを受け入れて、「どうしてなんだろうな」とずっと考えることのほうが「茶の湯」につながっているような感じがしている。


お稽古・茶道 | comments(1) | trackbacks(0)