一より習ひ

「稽古とは一より習い十を知り、
 十よりかえる元のその一」なのだそう。
 和の世界をマイペースで巡る
 植田伊津子の徒然記です。

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お稽古、お稽古

今週は京都出張のあと、お茶の用事でいろいろ出掛けていたりもして……余裕のない一週間だった。

さて、今週のお茶のお稽古は、奥伝の行之行台子。

単衣紋付きのきものは先々週の大円草のときに着用したものと同じだったけれど、今回は絽の夏帯を締める。わたくしは、6月の前半に単衣紋付きを着るときは、なるべく重そうに見えない袷用の袋帯を合わせ、6月後半以降のそれを着るときは夏用の絽の帯を合わせるようにしている。
じつのところ、暑さはさほど変わらないような気がする。
おそらく他人に与える印象が涼しげになる、という点が重要なのだろう。きものはそういうところがある。

さて、今日の行台子の点前。
ちょうどこの点前は、春におこなわれた研究会課目である。前日、そのメモをおさらいしていたが、最後のほうで息切れをした。

点前をしながら、「あっ」「そうだった……」と独り言を洩らしていたのだ。集中力が切れたのがわかった。

たとえば、点前でも完全に身体に入っているものは、水が流れるように勝手に手足が動いてくれるが、身体に入っていない点前の場合は、頭の中で茶道教科の本の解説文を読むように『文字』がト書きのごとく表れる。心の内で次の指令を読み上げているのである。

とくに奥伝の課目は、一年に何度も点前をしないために、指令をこなすのが精いっぱいなのだろう。とくに脳の中の声を大きく感じる。
『次はあれをして、これをして』という指令がない世界こそが、無の境地なのだろうか。私にはまだ遠い世界だ。

帰ってから、またもや足袋をつくろう。
ちなみに、奥伝の稽古といっても稽古には変わりがないので、わたくしはいつものようにツギをあてた足袋を履いていく。もちろんツギのあてた足袋は、まわりに気づかれるとそれなりに恥ずかしいわけなのだけれど、お稽古でのわたくしの場合、もっと恥ずかしいと感じる点は違うところにある。

何足かのうちの一足はこれで3度目のつくろい。
さすがにもうお仕舞いにしたほうがよいのだろうかと迷うが「いやいや、あと一度ぐらいはお稽古に使えるはず」と、針を動かす。そういう性分なのである。

こんなにツギを当てている人間は、わたくしの周りでは、わたくし以外見たことがない。もったいない病が重症なのかもしれない。
衿付けや足袋を補修していたら、うっすらと額に汗をかいていた。
お稽古・茶道 | comments(1) | trackbacks(0)

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COMMENTS

Posted by 友里葉  at 2011/06/27 9:00 PM
初めまして。
いつも勉強になるなぁと痛感しながらおじゃましております。
申し遅れましたが西日本在住、30代前半で表千家に入門している者です。
実はいつも着物のことについて悩み、先日も単衣の小紋でのお茶会があり、あれやこれやと悩みなんとか終わりました?
植田様のコメントを参考にさせていただいてます。
今後もまたおじゃまさせてください。

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