一より習ひ

「稽古とは一より習い十を知り、
 十よりかえる元のその一」なのだそう。
 和の世界をマイペースで巡る
 植田伊津子の徒然記です。

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -
<< 炉の炭斗 | お食事会続き >>

大円真

お茶のお稽古。
先週見ていただく予定だった奥秘の大円真(だいえんのしん)を今週おこなった。

大円真という点前は裏千家だけの課目で、他の流派にはないという。真之行台子と同じ格とされているが、格外の扱いとなる。13代圓能斎が考案。
真台子の上に茶入を載せた大円盆、天目茶碗、象牙茶杓を荘り付けた状態ではじめる。

奥伝の点前は相伝なので、師から直接教えていただくかたちになる。これら上の点前を記す本は出版されない約束だからだ。
茶の湯は『不立文字(ふりゅうもんじ)』の姿勢を大切にしている。

だから、はじめて奥秘の点前を習うときはドキドキする。
「どんな点前なんだろう」と、妄想が膨らむわけである。どれほど特別なことをするのか。けれど、実際に奥秘を習ってみると拍子抜けする。「奇抜なことは何もしない」のだから。

上の点前に行くほど、『日頃に積み重ねてきた、真の点前系列の点前を少し改変したもの』だなあと感じるのだ。
行為のひとつひとつは煩雑で長いのだけれど、「むずかしい」という感覚とはちょっと違う。

「ややこしい」けれど、「むずかしくはない」。個人的にはそう思う。

もちろん奥秘の点前は、その昔は主君や天皇といった貴人などの身分の高い人に茶を供することが多かったから、大名物、天目茶碗、象牙茶杓……という格の高い茶道具を使い、相手に茶を献上する慎ましやかな気持ち、品格のあるふるまいなど、精神的な心の持ちようが重要なことは心得ているつもりである。)


むずかしいのなら、日頃の小習事や実際の茶事のほうが、わたくしはよっぽど「むずかしい」。
なぜなら、点前側の亭主の心映えが道具組に表れるわけだから、「働き」が多種多様に展開するからだ。
道具が違えば扱い方の所作も違う。ということは、全方位的にあらゆる事について了解していなくてはならない。

上の点前は、それぞれ台子や茶入、皆具など、使う道具の種類とランクが定まっている。その場合、それを扱う所作も数通りしかない。
けれど、やさしいといわれている点前にはそのシバリがない。亭主の自由度が高いのは、そういった席だ。

「どんな場所でどんな道具を選んでもよく、どのように客人を接待しても構わない」といわれるケースほど、むずかしいことはないだろう。
亭主がどのようなお茶を目指すのか、お茶への深い気持ちがかたちにして見えやすいのは、「真行草」でいうならば「草」のお茶だ。

さて、利休は、わび茶を大成したといわれているけれど、昨日、たまたま仕事で打ち合わせをした方がおもしろいことを口にした。

「利休のつくったわび茶って、結局、ひと言でいうと何なのでしょうね?」
「利休は、『草』のお茶を『真』にした人ですよ」

同席の人たちがそれを聞いてどう思ったのか判らないが、わたくし自身、この方はなんて上手いことをいわれるのだろう、と驚いた。岩の中から鉱石を一撃で掘り当てたみたいな簡潔な表現。
そうだ! まったくその通りなのだ。

草のお茶とは何か、今日は大円真の点前をおこないながら考えさせられた1日だった。


お稽古・茶道 | comments(1) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

- | - | -

COMMENTS

Posted by Mokkun(^_-)☆  at 2011/11/13 4:52 PM
先日16年振りにお茶再開しました。
ブランクが余りにも長いので、薄茶平点前をやらせて頂きました。
久し振りに点てる茶。こんなにも気持ちが良いものだったのかと自分でも驚きました。
とここ迄は良かったのですが、「次のお弟子さんが大円真の稽古をするので先にやって下さい」との先生のお言葉。
再開第一日目で参りましたです。古帛紗の捌き方すっかり忘れてました。
とまれ何とか先生のご助言でやり切って、そのお弟子さんのも見て
再開初日から前回の稽古ででした。
今後も宜しくお願いしますm(_ _)m。

COMMENT FORM




 

 

TRACKBACKS

Trackback url: