一より習ひ

「稽古とは一より習い十を知り、
 十よりかえる元のその一」なのだそう。
 和の世界をマイペースで巡る
 植田伊津子の徒然記です。

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松茸ごはん

朝から1日出かけていて、ようやく夕方に自宅へ「帰るコール」をしたら、夫が『お隣のNさんからいただいた松茸で、夕ご飯をつくるよ』という。うれしい! 助かったー。

ポテトサラダ、わかめと油揚げの味噌汁、松茸ごはん、ぎょうざ(市販)で遅めの晩ご飯。自分がこしらえた松茸ごはんを自画自賛しながら、3杯もおかわりをする夫である。

なんとうまそうに、ハフハフ言いながら食べているのだろう。松茸を前にしたら、仕事のこともしばし彼方に飛んでいく。

今日は早く寝よう。
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20世紀梨

20世紀梨が今年もダンボール箱いっぱいに届く。
このうつくしいエメラルドの色を見ると、「ああ、秋だなあ」と実感する。



毎年かかさず送ってくれる父に、早速御礼の電話をする。
父は「その後、元気にしているのか」と、夏休み後の私や子どもの近況を尋ねた。

そして「こっちは秋祭りが近い。おまえたちも近くにいたら、帰ってくればいいのになあ」という。
「昨年からエイ君が御神輿の担ぎ手に加わり、お祭りのときに帰省をしてくれるんだ」とうれしそうに話す。エイ君は阪神間に住んでいる次男坊。
父は神社の宮総代をしているので秋祭には神服を着るのだけれど、長男と次男も御神輿を担ぐときは、担ぎ手独特の全身白づくめの装束を身につけるのが決まり。その晴れがましい姿を私にも見せたいのだろう。

「うん、うん。私もみんなの立派な姿が見たいわ」と相づちを打つ。地域の行事を大切に思う気持ちは、親世代になるほど切実だ。
地方のお祭りなどは、たいへんな若者不足なのである。

長男や次男がそろってお祭りに参加してくれて、父はほんとうに喜んでいる。私たち娘には果たせない親孝行を、代わりに男兄弟がしてくれてうれしい。

さっそく、弟たちにメールを入れておこう。

さて、明日からお茶のお稽古がはじまる。
先生、長すぎます、夏休み。お稽古に行かないと、私は身体も心も干からびてしまいそうなんです。


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里帰り

長らくのご無沙汰でした。

1年半ぶりに実家に里帰りしていた。私の実家は兵庫県北部、志賀直哉の『城の崎にて』の舞台となった
城崎温泉の先、香住というところである。円山応挙が手がけた襖絵で有名な応挙寺(大乗寺)がある。

家の懐かしい匂いがする。総勢20人近くがワイワイと集った1週間だった。息子をはじめ、弟たちの甥や姪も一緒に、連日、海や川へ泳ぎに出かける。
といっても、私はパラソルのしたでのんびり荷物番。
この時期は、あじ釣りも最高。はじめは子どもたちが釣り糸を垂れているのだが、次第に親たちのほうがエスカレートして、親が真剣に釣果を競うのだ。それらを母が南蛮漬けにして、次の日の海水浴のお弁当に持っていった。

美しい日本海は眺めるだけで気持ちが落ち着く。海を臨む
山陰海岸国立公園の丘は、絶好のビューポイントだというのに、日中でも人影が少ない。誰もいないところで、いつまでも地平線の向こうに目をやる。そういう時間が私にはめずらしい。

さあ、今日からふつうの毎日だ。


実家は200年以上続いている家。実家に戻ると、まず仏壇に線香を上げて「帰りました」とご先祖さまに無事を報告をする。ここは「仏壇の間」で、ご先祖さまたちの写真が鴨居に並んでいる。

久しぶりにお墓にもお参りする。お盆のお墓参りは、男性なら、衿のあるシャツにプレスしたズボン。女性たちはそれなりのきれいな恰好(ワンピースぐらい)をして、身ぎれいにして参らなくてはいけない。もちろん私たちの子どもたちも、よそゆきの恰好をさせる。ご先祖さまに会うのに、「いつも」の姿では失礼ということだろう。そういうけじめは、幼い頃からしつけられる。
14・15日は、朝夕2回、家族皆でお墓にお参りをして、灯籠の火を絶やさないようにする(13日の迎え火、16日の送り火は1回)。そのたびごとにちょこっと身なりを整えるのだけれど、朝は6時30分頃に行くので、顔も服もきれいにして……というのは、寝ぼけまなこでけっこう大変だったりする。
そういうものだとして育てられてきたら別に普通の出来事だが、お嫁に来た当初の弟嫁たちは驚いたようだった。



玄関は吹き抜けになっていて、上は格天井。3階建てぐらいの高さがある。壁にかかっているのはなんでしょうね。私が子どものときからずっとあったもの。



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じゅんさい

袋物作家である永井百合子先生から、秋田の生じゅんさいをたくさんお送りいただいた。うれしい到来品である。ちょっとしたお手伝いをした御礼。
永井先生とは私が淡交社にいた時代からのお付き合いである。先生は、お日さまのような明るい性格もさることながら、誰に対しても面倒見がよく、専門的になりがちな茶道具の仕覆の世界に親しんでもらうにはどうすればよいのだろうか、といろんな工夫をされながら、仕覆をつくったり教えたりしている。
近年、金沢にも別宅をつくられ、月のうち半分はそちらでお過ごしになっている。
先生のブログを拝読していると、茶どころ・金沢の居心地の良さをこちらも感じることができる。心豊かな生活がうらやましい。



「御礼に、植田さんのお好きなお菓子でもお送りするわ」「お気持ちだけで結構ですから……。先生、それに私、今ダイエット中なんです」「なら、じゅんさいでもどう? この季節とってもおいしいし、カロリーもないわよ」「それならありがたく頂戴いたします」って、厚かましくじゅんさいになびいたわたくし。はい。昔からはっきり口にしちゃう性格が直りません。


じゅんさいは多年生の水草で、蓮に似た葉のかたち。漢字では、「蓴菜」「純菜」「潤菜」とも表記する。

古い食材らしく、「ぬなは(沼縄)」という古名で万葉集にも詠まれている。
 わが情(こころ) ゆたにたゆたに 浮ぬなは 
     辺(へ)にも奥にも よりかつましじ
初夏の頃に、池沼に生えた若芽や新茎を小さな浮き船に収獲するので、「蓴(ぬなは)」「蓴舟(ぬなはぶね)」「蓴採る」など俳句の季語としても親しまれてきたらしい。

フルフルとしたゼリー状のヌメリを落とさないように、そっと水洗いをしてから、熱湯にくぐらせる。緑色に変わったら冷水にとる。
三杯酢やわさび醤油がかんたんなのだけれど、おすましや天ぷら、鍋に入れてもよいらしい。
今日のわが家は、新玉ねぎや桜エビの野菜かき揚げ・ざるそばの副菜として、さっと茹でたのを蕎麦つゆでいただいた。わさびがアクセントになって、ツルリと口に入る。
めずらしいじゅんさいをふんだんに添えて、プチプチいわせながら食す。嗚呼、おいしい。

永井先生、ありがとうございました。




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ホタル

今週末、我が町は恒例のホタル祭が催され、多く人出でにぎわった。昔の武蔵野の名残を残す玉川上水にホタルを呼び戻そうという企画で、地域の小学生たちが幼虫を育てて500匹に及ぶホタルを放飼する試み。今年で14回目を数える。

「はじめて蛍を見たよ」という若いカップルの声をとらえた私は、『いまどきの子たちは、この歳になるまでホタルを見たことがないのか』と知らされた。田舎育ちの私は、初夏になると護岸が整備されていない清流へ、虫取り網を持って、姉弟で蛍狩りに出かけたものだった。
ふーんわりとはかない光を発しながら舞うように飛ぶ蛍は幻想的で、つかまえるのが楽しかった。ホタルは逃げ足が遅く、子どもでも容易に捕まえられたのである。というより、その頃はホタルの絶対数が多かった。



虫籠に集めたホタルを持って帰宅すると、父から「昔はどの家も寝床に蚊帳を吊っていて、そこにホタルを放したものだ。そのまま虫籠に入れておいたらかわいそうだ。中庭に放してやりなさい」と諭された。私たちはせっかく捕まえたホタルを間近で見ていたかったが、しぶしぶ庭に放すとホタルは人心地ついたように、またふーんわりと飛んで、家族の目を和ませたのである。足腰が悪くなりかけていた祖母は、ホタルの光の筋を見ては言葉にならないため息をもらしていた。

ホタルが書物に登場するのは、日本書紀だという。その後、伊勢物語や和歌にも取り上げられている。蔵書の『国歌大観』をひろげてみると、勅撰集に60首近くも収まっているようだ。
最近では『源氏物語』の玉鬘の項でホタルについて記された文章が印象に残っている。

玉鬘は源氏の養女なのだが、色男である養父は、彼女に底知れぬ恋心をいだいていた。玉鬘には兵部卿というあでやかな男ぶりの大人が言い寄っていたりもする。あるとき、兵部卿が玉鬘をひそかに訪ねてきた場面。源氏も忍んで訪れていて、養女の恋の行方を確かめようと待ち受けていた。

そんな描写が続いているところ、ふたりがモジモジしているときに、源氏がホタルを室内に放つのだ。この時代、男性は由緒ある女性の顔をまともに見る機会はなく、ふだんは几帳越しだったりする。無数のホタルの光によって、はっきり玉鬘の顔を見てしまった兵部卿は、あまりのうつくしさに息が詰まってしまう。

……宮は、まさかこうもこの姫君が美女だとは思っていられなかっただろう。蛍の光でみた美しさに目がくらみ、好色者の宮は、ますます迷いこまれるにちがいない。
 源氏は、自分のたくらんだ趣向を、おもしろがっている。全く、実の娘なら、こうも物好きなことはしないはずである。……『新源氏物語(中)』田辺聖子訳  新潮文庫から

妖しいホタルの光にさらされた純情な玉鬘の狼狽が目に浮かぶ。明滅する青い光だからこその劇的な場面。ホタルにはそういう魔力がある。




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花地図

この季節、たくさんの草花がそこここに咲いていて、私を楽しませてくれている。
家の近所の玉川上水沿いは、舗装されていない自然の散歩道が残っていて、この前までは
鳴子百合の群生を見ることができた。白い小さな蕾をたわわにぶら下げ、風に揺られている様子がとてもかわいらしくて、私は買い物の行き帰りに少し遠回りをしては眺めたものだった。

また、自宅から駅に行く道の、なんでもないふつうの和菓子舗が育てている藤の花。店の上に掲げた看板にからみつくようにして、立派な藤の花が次々に咲いていた。この地に住み始めて10年以上経つのに、私はこの藤の存在をまったく知らずに過ごしてきたらしく、今年はじめて気がついた。「たいへん失礼いたしました」と胸の内であやまりながら、今年はその艶容な姿を記憶に焼き付けた。

そんな私は花屋の軒先も素通りできない。帰り道に数軒の花屋があって、毎日のように横目で花をチェックしながら歩いている。先日
都忘れの姿を見かけたと思ったら、最近はクラマチスが出はじめた。目まぐるしく花が入れ替わるとき、季節の変わり目の瞬間を感じるのである。

住宅地のあちこちのお庭を眺めるのも楽しみだ。あそこのお宅の駐車場の隅には薄紫の蛍袋が地植えで、こちらは確か
擬宝珠、こっちは夏椿があったなど、私の頭の中には地域の「花地図」らしきものがインプットされていて、花の盛りをのがさないようにチェックしている。もちろん花観察のときは、近隣から不審に思われないように細心の注意を払う。


存在感のある蛍袋。ちょうど今頃いろんなところで見かける。竹籠にざっくりと盛りたい。


花に興味をもたせてくれたのは、やはり茶道の影響だろう。茶の湯では、和花を中心に、季節の花を折々に生けて床に飾る。茶花の生け方の極意は「野に咲く花のように」という一点。
お茶を習いはじめてから、多くの方に少しずつ花の名前を教わった。そして、地面にさりげなく咲いている姿も気になりはじめたのだった。その興味がずっと途切れなく続いているだけだが、花に興味を向ける目を授けてもらえて幸せだな、と感じている。
といっても、マニアではないので名前もよく知らないし、自分で育ててもいない。
ぼんやり眺めて、生けるのがなんとなく好き、というレベルなのだけれど。

東京に住んでいたら、地方の方は「自然が遠い」と思われるかもしれない。確かに田舎とはくらべものにならないが、ほんのちょっぴりのアンテナを立てれば、野花を近くに感じることができるような気がする。


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雛祭り

雛祭り。今日はこの話をしよう。
40年以上前になるけれど、長女として生まれた私の誕生を祝って、母方の祖母や曾祖父たちが、大きな雛段飾りを贈ってくれた。

実家の蔵には、おそらく明治や大正のものだと思うけれど、しもぶくれの顔をした大きくて古いお内裏さまがいくつかあって、毎年それらも全部出して、私の雛段飾りとともに賑々しく奥の間に飾ったものだった。
わが家は、祖父の代まで入婿の女系家族だったので、曾祖母、祖母、伯母たち皆がそれぞれにお雛さまをそろえていたのである。昔のものは貫禄があり、私に贈られた昭和の雛は三人官女や五人囃子たちこそ従えていたが、時代の重みにはかなわなかったように思う。

私は兵庫の日本海側の地方出身者なのだけれど、実家では旧暦で雛祭りを祝う。
新暦では、まだこの地方は寒風が吹いていて、雛祭りという雰囲気にならない。今もただ昔の慣習を続けているだけかもしれないけれど、飾り付けをおこなう3月中旬以降は、
確実に春の兆しを肌で感じるのであった。



さて、幼い頃、私はきれいな雛人形のとがった鼻の先を撫でたくて仕様がなかった。皆から「顔に触っちゃいけません」と叱られても、叱られるほどそうしたくなるのが子ども。母の目を盗んでこっそり触って、ひとり満足である。
その結果、私のお雛さまの鼻がなんとなく黒くなってしまった。それでもかわいいことに変わりないし、愛着も失わない。仕舞うときは、大切に薄紙で顔を保護して箱に納めたものである。

この時期になると、近所の人が、わざわざ我が家の雛飾りを見にきたりもした。
田舎のことだから取り立てての品ではないけれど、「まあまあ、立派なこと」と誉めてくれたりすると、1日かけて蔵から出し、ほこりまみれになりながら、総出で飾り付けしたのが報われる気がしたものだ。
ただし、毎年こんなに苦労をして飾っても、日が過ぎればさっさに片付けるのがお雛さまである。

そのため、雛祭りが近づいてくると、出すのも片付けるのも面倒な気持ちになってギリギリまで手つかずでいる。
そうしたら、怖い形相をした祖母が母に向かって「お雛さまをもう出さないと、この子たち(私たち姉妹)が行き遅れる」と真剣に怒るのも恒例行事だった。祖母が頭から湯気を立てて母にきつく言い、母は私たちに「もう、今日は出さんとあかん」と仕方なさそうにぼやいて、蔵に向かっていくのだった。

お雛さまの日は、潮汁にちらし寿司が決まりで、米麹の甘味の強い甘酒もつきもの。そして、大きな雛飾りを背景に家族写真を撮るのが習わしだ。

30代も後半になってから、ふと幼稚園の頃の雛祭りの家族写真を見たら、私が今大切に着ている濃紫の絞りのきものを、当時70代半ばの祖母が着ているではないか。
私はそのきものを伯母からもらったのである。ということは、祖母から伯母へ、伯母から私へと譲られてきたことになる。物持ちがよいというか、始末がよいというか、これだけ着尽くせば本望だろう。

ところで、先日、母と話していたときに、なんたることか私のお雛さまが実家で不遇な扱いを受けていると聞いた。
「ねえ、今でも私のお雛さまを皆とともに飾ってくれているんでしょう?」
「ごめんごめん。ちょっと場所がなくなっちゃたし、あなたのお雛さまは鼻も黒いから出してないのよ。今は内孫の菜々ちゃんのを中心にして飾ってるわ。大事にしまってはいるけれど……」

かわいそうに……。わが家に女の子はいないけれど、お内裏さまだけでも、私が東京へ引き取って面倒をみたい。鼻が黒いお雛さまも、出してもらえなければさびしかろう。




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百花に先がけて咲く梅



あちこちの庭先や線路沿いに、紅白梅の花がほころんでいるのを見かけるようになった。
立春を過ぎ、肌を痛くした寒気が弱まるのを覚えると、下に向けていた顔がようやく上向く。そんなときに一番に目につくのが梅だ。


……『万葉集』に載る山上憶良(やまのうえのおくら)の歌に「春されば先(ま)づ咲く宿の梅の花   ひとり見つつや春日暮らさむ」とあるように、(梅は)百花に先がけて咲きはじめ、春の到来を告げるところから、
「百花魁(ひゃっかのさきがけ)」「花魁(はなのさきがけ)」「春告げ草」「自知春(はるをしる)」などとも称され、
また馥郁(ふくいく)たる芳香から
「にほひ草」「風待草(かぜまちぐさ)」「かざみ草」、
花が清楚と優雅さと気品を備えているところから
「清友(せいゆう)」「清客(せいきゃく)」
などと種々の名で呼ばれてきました。
          『続・日本の文様』 北村哲郎著 源流社刊


謡曲の「老松」では、「梅をば、好文木(こうぶんぼく)とは付けられたれ」とも記されている。
これほどたくさんの異称を持つ花は、そうあるまい。

梅は茶の湯においても好主題で、上から見た五弁の花びらを文様化した「梅鉢文」は仕覆や古帛紗の裂地に用いられているし、梅柄をつけた茶道具も好まれる。
未開紅(みかいこう)という名の茶の湯菓子は、梅が咲きかけている様子を映した愛らしいデザイン。「梅ケ香」という練香もある。
茶の世界は、楚々とした梅の姿に「茶趣」を見出してきた。


知り合いから頂戴したかわいらしい梅の茶扇(宮脇賣扇庵)。この時期になると数寄屋袋に入れている。大切に使っています。


春の花といえば、桜も梅同様に好主題なのだが、個人的な印象をいうならば、日本人の感情をゆさぶってしまう桜花を、茶の湯は今ひとつうまく使いこなせていないよう気がする。桜は色気がある過ぎるのだろう。

梅といえば、歌舞伎の曽我物の紅白梅も印象深いもの。
今年1月の歌舞伎座では、吉右衛門と菊五郎、幸四郎による「壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」だった。舞台の梅は、照明の光を吸って輝かんばかりだ。蠱惑的でさえある。


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雪輪

出先で、雪輪(ゆきわ)の帯を見せてもらった。
この伝統文様は、冬はもちろんのこと、夏の呉服である絽や紗にも涼を呼ぶ文様としてつけられている。今日はこの話をしよう。



さても、雪には「六花(りっか)」「六出(りくしゅつ)」という異称がある。「六出」は「六出花」の略で、雪の結晶が六方に枝の出たかたちをしているところから、これを花に見立てたのが由来。

意外なことに、六花という言葉は、室町時代にはすでに使われていたらしい。室町時代後期に内大臣の要職を務め、歌人、学者としても知られた三條西実隆(さねたか)の日記『実隆公記』(文明六年正月九日)には「六花少落」という表現が残されているそうだ。
雪輪文は、桃山時代の縫箔(ぬいはく)に六弁を持った円の図形として登場する。顕微鏡のなかったこの時代、どうして雪の結晶が六角だと判じられたのだろう。





およそ現在より気温が数度低かったと思われる往時、てのひらに舞い落ちてきたのは、かたちのはっきりとしたみごとな結晶だったからかもしれない。その複雑な美は、わたしたちをおおいに刺激し、衣装や工芸品のモチーフとして取り入れてきた。

日本人は雪に「吉兆」と「風流」の背景を見てきたことも、この柄が愛される理由だ。
雪は「豊年の瑞兆」をもたらすものとされてきた。平安時代、初雪の日は群臣が朝廷に参内して、天皇から禄を賜ったという。
雪の鑑賞も同様に古くからおこなわれてきて、たとえば東京なら、隅田川堤、不忍池、道灌山、赤坂溜池などが雪見名所として知られていた。いずれの場所も遠くを見晴るかす川沿いや池畔、高台などで、雄大な空間と小小たる雪との対比を楽しんだのだと思う。

ところで、雪の情景を絵画的に表すと「雪景文(せっけいもん)」。そして笹葉や柳などに降り積もった様子を指すなら「雪持ち笹」「雪持ち柳」など「雪持ち文」と表現する。
雪を象徴的に様式化した円状のものが「雪輪文」。独特のめずらしいかたちで、これを見て雪文様と判断するのは日本人だけだろう。
トゲトゲとした形状をそのまま写し、雪の結晶にいちばん近い文様が「雪華文(せっかもん)」である。

江戸小紋では、小さな丸を多数描いた「霰文(あられもん)」の他、丸に強弱をつけて遠近感を出した「大小霰文」もある。



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長門の半生菓子

先週、知り合いのT村さんとランチをしたおりに頂戴したお土産。日本橋の「長門(ながと)」というお店の半生菓子だという。

「植田さんはよくご存じだと思いますが」と、帰り際にニコッと笑顔で手渡されたのだが、恥ずかしながら私は店の名は知っていたものの、一度もこちらで買い物をしたことがなかった。

ワクワクしながら開けてみると、宝石箱のような趣である。


赤い細リボンの包みも洒落ている。



どちらかといえば、趣味趣向がみやび系統に傾く私だけれど、これは良家の子女的なたたずまいで、健やかな魅力がある。
大きさや造形が妙に洗練されてないから、安心感や懐かしさを感じるのかもしれない。
菓子でも、少しだけ「ゆるみ」ともいうべき隠し味があると品よく映るが、この半生菓子がそうだった。

さっそくお抹茶とともにいただいてみたら、干菓子ほど堅くなく、生菓子よりはカッチリとしていて、程合いのよい歯触りだ。型くずれの心配がほとんどないため、外国への贈り物にも最適なのだそうだ。

1箱に8、9種類がおさめられている。季節に合わせて種類が変わるのが楽しみだ。また箱の千代紙の種類がいくつかあって、好きな文様を選ぶこともできるらしい。

一緒にお抹茶をしていた息子が、
「このお菓子、かわいいね。菜々ちゃんにプレゼントしたら喜ぶね(息子の従兄弟で、お茶をしている小学生)」
といっていた。
女の子をくすぐる「ポエム」があることが息子にもわかるようだ。

長門は、8代将軍吉宗の頃に幕府の菓子司として仕えたという経歴をもつ老舗で、「久寿もち(くずもち)」「切羊かん(きりようかん)」なども定番の人気品。今度はそちらを自分で買って試してみよう。
T村さん、ありがとうございました。

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江戸風御菓子司
長門


東京都中央区日本橋3-1-3
電話 03-3271-8662
10時〜18時 日曜・祝日休



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