一より習ひ

「稽古とは一より習い十を知り、
 十よりかえる元のその一」なのだそう。
 和の世界をマイペースで巡る
 植田伊津子の徒然記です。

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炉最後の稽古日

 うーむ。放置プレイにもほどがある、というぐらいブログに眼を向けないまま、日々が過ぎて行った。

たまには更新しないと、重病死亡説が流れたり、「なんかヤバイ事をしでかしたらしいわよ
(?)」と、あらぬ誤解を生んでいる(笑)。わたくしはぴんぴんしております。手が後ろに回るようなこともしでかしておりません。


あいかわらず、土曜日はお茶のお稽古へ。
天気もよいからと、久しぶりに矢代仁の御召を着たら、シャッキリとした裾さばきで、この生地の持ち味を再確認する。御召は着やすい。

ただ、袷のきものを着るには暑すぎた。東京の最高気温は24度だったという。

今日のお稽古場は大にぎわいであった。
姉弟子さんが連れていらしたミャンマー?からのお知り合いが、きものを着用体験されたのち、点前の様子を見学されていたり、新人さんや、小さなお嬢さん同伴の方がお出でになったり……。


東大寺別当、平岡定海(じょうかい)さんの「華」。学僧として著名。昨年11月に88歳でお亡くなりになった。現代美術のようなおもしろい書跡だ。

どこの炉にも人がいっぱいだったが、わたくしは台子が据えてあるところで、台子の貴人清次の薄茶を見てもらう。

これの難易度は「ちょっと難しいでしょう」というレベルの点前である。
台子には、多少やっかいな扱いがあって、点前の手数が多くなるからだ。

「最初は、どうなるんだったっけ」と、記憶の小箱の中からこれの情報を取りだして、早送りするように頭の中で追いながら、体は点前の準備をしていたところ、「こういうときは何かポカをしそうだなー」と思っていたら、案の定、次茶碗(お供の方)の茶巾を千鳥茶巾にするのを忘れていた。
「ハハハ……(汗)」と頭を掻いてごまかそうとしても、もう遅い。
点前全体は「並」で終わった。

「よいとは言えないけれど、悪いわけでもない。はっきり悪ければ、注意のしがいもあるけれど、微妙よねー」……つまるところ、我が息子の学期末試験のような出来とも言える。このところ停滞中。


牡丹、芍薬、どっち? わたくしはいつも見分けがつきませぬ……。


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花月の勉強会

さてさて、花月の勉強会である。

この勉強会は、四谷青年部に所属するK社中のメンバーが中心となっていて、毎年「植田さんもどうですか?」と声をかけてくれるもの。ありがたいことである。
わたしは、今春に諸般の事情で青年部を移動をしたので、四谷のときの仲間とは久しぶりに会えたのも、楽しいひとときだった。

予定していた種目は、花月の基本である「平花月(ひらかげつ)」、付物(つきもの)花月の中から「軸荘付(じくかざりつき)花月」「濃茶付花月」、「花寄せ」「雪月花」の七事式であった。

できる範囲で、事前に淡交社の昔の茶道教科で、これらの式の手順を勉強していった。けれど、むなしいかな。花月は本を読んで理解できるものではなく、やはり日常的に訓練していないと身体が動かない。

平花月さえも忘却している部分があって……心底へこんでしまった。

どれもがひどい出来だったけれど、そのひとつが軸荘付花月。

わたくしは今のお稽古場に入ってから、じつは軸荘を一度もしたことがなくて、だから当然のことながら、やり方がわからないのである。
軸なら扱える。でも点前における軸荘では、様式的な順序や、ここではどっちの手で扱うかなども決まっているので、これはこれで、軸荘の点前を知らなければできない。
もちろん軸荘も、本で勉強していったのだ。

水屋でそれらの準備をしていたとき、本日の指導をされたベテランのK先生に
「わたくしは、そんなに短くない期間、お稽古を続けてきたつもりですが、じつは『軸荘』をやったことがないのです」と告白すると、
「軸荘は小習ですよ! ほんとにあなたのお稽古場では軸荘をやらないの?」といわれてしまった。

わがお稽古場は逆勝手の茶室があるので、
他のお稽古場より逆勝手のお点前をよく練習していると思う。
実家でその話をしたとき、お茶の先生をしている実母が「逆勝手のお点前は、私はほとんどやったことがないわね……」と言っていた。
だから母はこの点前に苦手意識があると。

おそらくお稽古場によって、何回も取り組むお点前と、ほとんどやらないお点前があると思う。
内輪的にお稽古をしたり、研究会やゼミに行かないならそれでも支障がないのだろうけれど、たとえば他所に出て、こんなケースに当たると当事者は困惑する。

わが師はサービス精神が旺盛なのか(笑)、御抹茶とお菓子の「お点前」を生徒にさせなければお稽古の「実(じつ)」がない、と思っている節があるようで、壺荘や軸荘を避ける傾向にある。
どちらにしろ、小習はどれもできないといけない課目だから、抜けているものがあっては困る。
先生に相談して、お稽古をつけてくださるよう、お願いしたほうがよさそうだ。

他には、七事式の「雪月花」もできなかった。というより、わたしは、雪月花をするのがはじめてだった。

ふつうのお点前のお稽古は、テニスのシングルスみたいなもので、本人の努力次第では、個人レベルでレベルアップしていけるけれど、花月はバレーのようなチームプレー。

式に参加する5人以上の人間が、札によって役割を振られ、亭主と客があるタイミングがきたら、さっさと席を立って点前をしたり、茶を飲むなどの動作をしなくてはいけない。
でもチームが組めなければ(お稽古場で花月に参加できる人数が少ないと)、花月の練習はできないし、いろいろ悩みどころである。

自分のお稽古場では花月をあまりおこなわないけれど、本人は花月のレベルアップを望む場合、その人はどのように対処されているのだろうか。
花月の実践講座みたいなものが、淡交社の文化講座やグリーンアカデミーにあれば参加してみたいものだ。

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お稽古、お稽古

今週は京都出張のあと、お茶の用事でいろいろ出掛けていたりもして……余裕のない一週間だった。

さて、今週のお茶のお稽古は、奥伝の行之行台子。

単衣紋付きのきものは先々週の大円草のときに着用したものと同じだったけれど、今回は絽の夏帯を締める。わたくしは、6月の前半に単衣紋付きを着るときは、なるべく重そうに見えない袷用の袋帯を合わせ、6月後半以降のそれを着るときは夏用の絽の帯を合わせるようにしている。
じつのところ、暑さはさほど変わらないような気がする。
おそらく他人に与える印象が涼しげになる、という点が重要なのだろう。きものはそういうところがある。

さて、今日の行台子の点前。
ちょうどこの点前は、春におこなわれた研究会課目である。前日、そのメモをおさらいしていたが、最後のほうで息切れをした。

点前をしながら、「あっ」「そうだった……」と独り言を洩らしていたのだ。集中力が切れたのがわかった。

たとえば、点前でも完全に身体に入っているものは、水が流れるように勝手に手足が動いてくれるが、身体に入っていない点前の場合は、頭の中で茶道教科の本の解説文を読むように『文字』がト書きのごとく表れる。心の内で次の指令を読み上げているのである。

とくに奥伝の課目は、一年に何度も点前をしないために、指令をこなすのが精いっぱいなのだろう。とくに脳の中の声を大きく感じる。
『次はあれをして、これをして』という指令がない世界こそが、無の境地なのだろうか。私にはまだ遠い世界だ。

帰ってから、またもや足袋をつくろう。
ちなみに、奥伝の稽古といっても稽古には変わりがないので、わたくしはいつものようにツギをあてた足袋を履いていく。もちろんツギのあてた足袋は、まわりに気づかれるとそれなりに恥ずかしいわけなのだけれど、お稽古でのわたくしの場合、もっと恥ずかしいと感じる点は違うところにある。

何足かのうちの一足はこれで3度目のつくろい。
さすがにもうお仕舞いにしたほうがよいのだろうかと迷うが「いやいや、あと一度ぐらいはお稽古に使えるはず」と、針を動かす。そういう性分なのである。

こんなにツギを当てている人間は、わたくしの周りでは、わたくし以外見たことがない。もったいない病が重症なのかもしれない。
衿付けや足袋を補修していたら、うっすらと額に汗をかいていた。
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季刊誌『クリネタ』

研究会の臨時売店で、こちらの雑誌を購入。特集企画が「大特集 クリネタ茶道事始 裏千家千宗室家元独占謁見」とある。書店ではあまり見かけない雑誌である。


青山ブックセンターなど、限られた書店で販売しているみたい。インターネットでも、Amazonで前号の12号までは買えるが、今号は買えないよう……。やる気がないのかなあ。500円。


こちらの季刊誌『クリネタ』(クリネタ刊)は、K2の長友啓典
さん(長く第一線で活躍されている著名なグラフィックデザイナー、装丁家)の編集責任。ちなみに書名の由来は、「クリエイターのネタを取り上げるから『クリネタ』」だという。今号で13号目。

今回の御家元独占インタビュー企画の影の仕掛け人は、坐忘斎御家元の従兄弟に当たられる大谷宗裕さんらしい。大谷さんは、現在、裏千家の組織でいろんな役職にある方。

その昔、伊住政和さん(坐忘斎御家元の弟君。03年、腎不全で若くして亡くなられた)が手がけた「茶美会(さびえ)」という日本を代表するクリエーターたちが関わったコラボレーション茶会からの人脈のつながりで、今回、長友さんを中心とする編集同人5人ほどが、裏千家の東京道場で茶の湯体験を経て、坐忘斎御家元へのインタビューをおこなった。

これが、なかなか興味深いインタビューなのだ。
一般誌をはじめ、専門誌による坐忘斎御家元のインタビューは、やはりお立場のせいか、枠をはみ出さない生真面目さで語られているものが多い。ご自身の言葉であるはずなのに、他の誰かが語っているような、教科書的な受け答えになりがちなのは仕方ないと思う。けれど、こちらでは生の御家元の言葉が満載。

というのも、まったくお茶になじみのないフツーの方が、御家元に、たとえば「家元って大変ですか?」とストレートにインタビューしているのだ。
機関誌・淡交の巻頭言で、門弟たちに向けた坐忘斎御家元オカタイ言葉を読んでいる読者としては、「いろんなご質問に身構えないでお答えになっているなあ」という印象を持つ。
御家元を絶対的な師として仰ぐ門人たちは、たとえ本人に実際お目にかかる機会があったとしても、ここまで気さくな質問をぶつけられないだろう。

御家元が「恒川光太郎」の小説が好きだというのも、はじめて知った。
ロマンティックなチョイスだなあ。リアルでハードな毎日を過ごしているからこそ、クールでうつくしい物語世界に想いを馳せられるのだろうか。



略称「プログレ」、ブログレッシブ・ロックという音楽もよく聴かれるらしい(←わたくしはこちらは詳しくないのでわかりません……が、ピンクフロイドやイエスなどの音楽を包括する総称のようです)。

茶の湯について語られていた中で印象的だったのは……たとえばこんなところ。

……私たちは家元という言い方をされていますけれども、基本的には「庵主」という言葉が本来なんです。私ですと「今日庵主(こんにちあんしゅ)」、表千家さんですと「不審菴主(ふしんあんしゅ)」、武者小路千家さんは「官休庵主(かんきゅうあんしゅ)」で、三つの千家に分かれましたけれども、この庵主という意味は、野球の中継ピッチャーのようなものです。利休のあとを継ぎ、それこそ先祖代々の人たちがみんな、それぞれの家で与えられた役割を果たそうと、試合を壊さないようにマウンドに上がっていたのだと思いますよ。

 長いイニングを投げた人もいれば、短いイニングだった人もいるかも知れない。きっちりと繋いだ人もいれば、四苦八苦した人もいるかも知れない。でも少なくとも次の人間にボールを渡すまで、マウンドを守ったことは事実だと思います。そういう中継ぎが大勢出てくるなかで、その時代に合わせ、かたちづくられていったものもあるのではないでしょうか。
 


……利休様の精神だと言われている「和敬清寂」という言葉がございます。和は和むことだし、敬は敬うことだし、清は清めることですけど、寂というのが、もうひとつ説明がはっきり出来ていなかったかも知れません。それについて利休様はこうだと仰ってるわけではありません。みんな想像するしかありません。私、この間ふっと気がついたのはですね。
……(略)……「和敬清寂」の「寂」で表しているのは、削ぎ落とすということ。そしてそこから、いまの茶の湯をはじめとするさまざまな伝統文化が生まれてきたんじゃないかと思いますね。そのあたりに思いを馳せて頂ければ、利休の茶はこうだ、とか、ああだ、っていうんではなくて、お一人ずつ心の中に茶の湯に対する答えらしきものが出てくるんではないでしょうか。私は茶の湯って、そんなもんでいいと思います。



……目の見えない人が象を触る昔話がありますね。尻尾を触った人は細いもんだ、足を触った人は丸太、大木のようなもんだ、鼻を触った人は蛇みたいなもんだって答える。見えるからって、象全体に触れる人はいない。だから皆さん方、素人もプロもそれなりに、茶の湯に対する接し方から何かを感じられたら、それがいちばん茶の湯の自由な精神に適ってるんじゃないかと私は思っております。


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洗い張りの反物

単衣のきものが足りない。探してもない……悉皆屋さんに預けっぱなしになっていると思って、週の半ばにOさんに電話して持ってきてもらう。
私はいくつかきもののお手入れ先があって、Oさんは家までとりに来てくれる方である。

そうしたら、洗い張りを頼んでいた無地を一緒に届けてくれた。
そうそう、昔に女優の丘みつ子さんからいただいた色無地が汚れてきたので、染め替えをしようと、悉皆に出したままだった。


充分染め替えに耐えられそうな強度がある。
これの地紋はおもしろい「木立模様」。木立の枝の先に大小の蛍絞り加工を施してもらって、北欧風デザインの小紋にしようか……とも考えていたけれど……今はやはり無地染めにしようか……と思案中。色はグレーを数滴落とした、落ち着いた黄丹(おうに)みたいな色が第一希望。



いただいてから昨年までは、もらった状態のまま着用していた。丘さんは、背丈がわたくしより少し大きいぐらいなので、着丈も裄もさほどの不自由はなかったのだ。
わたくしはきものをいただいた場合、よほどサイズが異なっているか、ひどい汚れでない限り、しばらくはそのままの状態で着ている。表地や八掛の色が好みの色でなくてもである。

そして、裾が切れてきたり、汚れが目立ってきてから、洗い張りに出して、自分好みの色に染め直し、八掛も新調。そのときに自分サイズに仕立て直すようにしている。こうしたやりくりは母に教わった。

うつくしい状態に直った無地の着尺を前に、何色にしようかと思案する。
少し前までは何か加工をして小紋にでもしようかと思っていたけれど、今の気持ちとしては素直に無地に染め直す気持ちに傾いている。
来週、京都の「染めのみずぐち」さんが東京へいらっしゃるので、相談をしてみよう。

水口さんとわたくしとは色の好みが違うので、また「こんな色に染め直したいの?」とひと悶着ありそうだけれど。しかし、正直に「この色なら植田さんに似合う」「その色は似合わないよ」と言ってくれる人が身近にいると助かる。


さて、仕事を早めにすませて、今週もお茶の振り替え稽古に夜行く。

貴人清次の薄茶をおこなったら、点前の後半がぐずぐずの状態でした。
丸卓に柄杓を飾るのに、伏せておくことさえ忘れている。ど忘れを繰り返し、つっかえてばかりのひどい点前を前に「あなたとしたことが……一体どうしちゃったのよ?」と、師や姉弟子さんたちが苦笑していた。

このところ日常が慌ただしいので、点前が浮き足立っているのだろう。ひとつ歯車が外れたら、あれよあれよとばかりに他も狂ってしまったところにも、未熟さが表れている。


この時期は、たくさんの露草が。花がこれだけ開くと茶花の風情じゃなくなるけれど、紫のつぼみがゆるみはじめたぐらいのときに籠に入れたりするのもいい。


街中で見つけた梅花空木(ばいかうつぎ)。清楚な四弁花がたわわな花をつけていた。茶花に使うときは、花の数がさほど多くなく、枝の小さなものを選んだほうがよさそう。


下を向くホタルブクロが、これまたかわいらしい。ここは、まわりがすべてホタルブクロの葉なので、きっとこれから次々に花が咲くのだろう。
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お下がりの単衣のきもの

単衣紋付きの無地。武蔵境の伯母から20代の頃にもらったものである。

あるお茶会の懸け釜のお手伝いをしていたとき、伯母が陣中見舞いを兼ねて来てくれた。
田舎の実母がこしらえた私のきものを見て、「まあ、こんな地味な色に染めさせるなんて。あなたのお母さんはどうかしてるわ。20代ならもっと他の色を着なくては……」と、眉をひそめたことがあった。

私はせっかく茶会へ来てくれた御礼をいうタイミングをのがし、しばらく水屋裏で伯母の小言を聞いていたが、茶会が終わる頃にはそれを言われたことさえ忘れかけていた。
しかし、伯母は帰宅して
さっそく母に電話を入れたのだった。

母は「お義姉さんに叱られちゃったわ。あなたに変なきものを着せているって……。その色のきものは、年齢に見合うようになるまで、しばらく置いておきましょう。そうすると、違う色のきものをつくるしかないわね」と、伯母からの電話の受話器を置いた途端、こちらへ電話を寄越したのだった。

確かにそれは、地味めを好む母の趣味そのもので、当時のわたしには落ち着きすぎた鈍い赤土色の単衣。
きものの仕事もする今の私なら、ひんぱんに着る機会の多い無地のきものは、はじめは薄色でつくり、染め替えるたびに濃くしていく色の選択をすると思う。それがもっとも経済的だからだ。

しかし、あの当時、母はもうこれ以上の濃色はなかろうというぐらいの色で、いきなり白生地をつぶしてしまった。ずいぶん思い切った判断だ。母のあっけらかんとした性分を垣間見た感じがした。

伯母からの一撃で、結局
そのきものは母自身が着ることになって、あちらへ送り返した。そうして3ヶ月ほどすると、また母から単衣のきものが送られてきたのだった。

「お義姉さんが、これを伊津子ちゃんの寸法に仕立て直して役立てなさいって、送ってこられたのよ」という。
荷物を解けば、それもまだ少し地味なグレイッシュピンクの単衣紋付きで、伯母が着ていたものだった。いかにも伯母らしい趣きのきものである。

一見してわたくしの好みではなかったが、母が伯母からあれこれ言われるのも難儀なので「わかったわ……。じゃあこれを着る」と素直に受け取っておいた。

今日は、久しぶりにそのきものを出してきたのである。奥伝の大円草のお稽古が晩に入っていたためだ。

それぞれ長く茶を嗜んできた身内のお下がりのきものに袖を通すと、鏡の中には思いがけずその色が似合う自分自身がいた。
『こういう色が、しっくりくる歳になったのだなあ』としみじみもしたし、その昔の伯母や母とのやりとりが急に甦ったのである。
「こんなの要らない」と言下に否定しなくてよかった。人は変わる。
きものが思い出を連れてきたのだった。


大円草のお稽古は、稽古場でも30年来の古株だというベテランの姉弟子のYさんがご一緒で、はじめにYさんの様子を見せていただいたから、後のわたくしは2ヶ所ほどつまずきはしたけれど、なんとかスムーズに終わった。
師も「今の調子でね」とおっしゃってくださる。『今日は伯母ちゃんがついているものね』とひとり安堵する。

そういえば、このきものを着た姿をまだ伯母に見せたことがないのではなかったか、と気掛かりになりながら、足早に夜道を帰った。

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今日もお稽古へ

木曜に引き続き、今日もお茶のお稽古へ。いっこうに雨が止む気配がなかったので洋服である。

洋服なら洋服で、何を着て行こうかと迷ったりするけれど、お稽古場では、「腰巻き」にそっくりな、長いお稽古用の巻きスカートをつけるため、結局パンツでもミニスカートでも構わない。
腰巻きをつけると、きもの同様の足さばきになるので、わがお稽古場の洋服の人は、みんなコレをつけて動く。
上半身は、洋服の上から「花月の友」というお稽古用のベストみたいなのをつける。


うちのお稽古場で使っているのはこちら。

お茶はきものでお稽古するのが理想ではあるけれど、
もちろん洋服で構わない。ただ洋服のときは、きもののように胸元に帛紗などを挟むための上着があったほうがよい。

というのも、炭手前をするときは胸元に紙釜敷(かみかましき。檀紙を四つ折りにした釜敷き。初炭で使用する)というものを挟んで点前座に出なくてはいけなかったりするし、濃茶点前で楽茶碗以外の茶碗をお客さまに出すときは、胸元から古帛紗を出して添える、という約束がある。
洋服でも、胸元に「何か」がしまえる仕掛けが必要というわけだ。そのための「花月の友」という上着である。


このようなお稽古着も見つけました。「花月の友」より丈が長いので安定感がありそう。

今日の教場は大にぎわいで、着いたときにすでに10名以上。また、お稽古をはじめたいという若い方がお母さまと一緒にいらしていた。彼女は社会人一年生だという。
他にも楽しいことがたくさんある世の中なのに、よくぞお茶を選んでくれた、と握手でも交わしたい気持ちで横に座っていたわたくしは、もうおそろしく親切である。気持ちが、顔と態度に表れているのだろう。じつにわかりやすい人間なのだ。

ともかく、こうして縁あってこのお稽古場に来てくださったのだから、入門したら大切に育ってほしいと思う。それこそ、水と肥料とおひさまをたくさん与えて(褒める)、そして、そこそこ厳しく……である。
わたくしが直接教えるわけではないけれど、せっかく入ってくれた人に辞められるとつらい。
中小企業における新入社員を見守る先輩社員のような気持ちなんですね。

来週は奥伝の大円草を見ていただく予定なので、今日のお点前は台天目をおこなった。
大円草(だいえんのそう)は大円盆上に載せた唐物と和物のふたつの茶入を使用する点前である。奥伝の中でも台子を使わない種類で、大円盆扱いの「草」の点前だ。草とはいうものの、奥伝の点前は予習と復習がかかせない。
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包帛紗

先週までは袷のきものを着ていたけれど、心はすでに単衣。今日は早起きをして半衿を塩瀬から絽縮緬に付け替えた。


きものは型染木綿の駒田佐久子さんの単衣に、タッサーシルクの無地のなごや帯を手早く締めた。

お休みしていたお茶のお稽古の振り替えのため、お弁当持参で稽古場へ行く。

稽古場では、来た人から箒とぞうきんで部屋を掃除し、手分けをしてお茶を漉したり、茶道具の準備をする。一番にうかがったわたくしは、しょっぱなに風炉の初炭手前をさせてもらった。

じつは、わたくしにとって、今日が炉から風炉に切り替わったはじめての稽古日で、風炉のお点前をするのは昨年10月以来である。

『風炉の炭手前って、どんなふうだったかな』と、毎回炉・風炉の切り換え時は、内心ヒヤヒヤする。炭斗の準備をしたときに何かが多いような気がして、若先生に「先生、これでよろしかったでしょうか?」と組んだ炭を念のために見ていただいた。

とはいうものの、お稽古とは続けていれば知らず知らずに身についているものらしく、動き出せば身体が動くので、心配したほどの惨状ではなかった。こういうときにお稽古の積み重ねを実感する。帰ったら復習。結局、これの繰り返しなのだろう。

初心者というKさんが、ふつうの薄茶をされるというので、様子を見せていただく。置柄杓、引柄杓などに悪戦苦闘されている。それの以前の、茶巾の扱いや棗を拭くといった割稽古のひとつひとつさえ、覚束ない感じ。

わたくしはお稽古曜日が違うので、Kさんのお点前を見せてもらったことがなかったから、Kさんの習熟度を知らなかった。
自動車が、シュッシュと走り出そうとするが、ヒュルヒュルとすぐにダウンするような様子。ご本人も「むずかしい、できない……」と、点前の最中に口にされている。

このような、特別な支援が必要と思われるぶきっちょさんには、別の教科指導プログラムをほどこしたほうがよいのではないかと、わたくしなどは感じてしまう。もう少し時間をかけて、ひとまず部分的に柄杓の扱いや割稽古をマスターするのに力を注いだほうがよさそうだと思うのだ。九九を覚えられなければ、方程式は解けない。
お茶の教え方はさまざまであるから、師のやり方にわたくしが口出しすべきことではないが。

わたくし自身、午後に包帛紗をおこなった。冬休みで帰省をしたときに、茶道の先生をしている実母に注意を受けた点前である。
「包帛紗は、薄茶器(棗)を濃茶器に代用する点前で、ただ帛紗で棗を包んであるだけだからむずかしくないわ」との油断を見透かすように、母からダメだしを受けた。

「帛紗の結び方が粗雑で、開き方が美しくない」というのである。側に座られて、何度もやり直しさせられたのだ。うーむ、うちの母は細かい。

他のことをあれこれ言われりゃ腹も立つが、お茶に関しては腹が立たない。母ではあるが、やはりお茶の先輩だからだろう。『あなたなら、まだ直せる。直しなさい』という。続けていれば、だんだんと誰からも注意を受けることが少なくなるものだ。だから身びいきとはいえ、より良い方向へ向かうために指摘をしてもらえることがありがたい。
そのやりとりを思い出しながらの、今日の包帛紗であった。


包帛紗は、濃茶器(茶入)の代わりに薄茶器の棗を用いる点前。通常の茶入は、仕覆とよばれる布のきものがついている。
棗には、ふつうそういった布の袋をつけない。だから自分の帛紗で棗を包んで、茶入の代用として、客前に出す。もともとは、名物茶入を持たない侘び茶人が濃茶をおこなうための点前だったのだろう。

その場合の棗は、茶会の芯となる濃茶席のうつわというポジションだから、格が高い真塗の黒中棗を使用するとされている。となれば、写真のような柄のついた帛紗を使うのは本当は避けるべきで、朱や赤、男性ならば紫の無地帛紗を用いるほうがよい。
柄のある帛紗は、無地帛紗にくらべると、遊びの要素が多いものだからである。今日はお稽古なので、たまたま柄のある帛紗を使ってしまった。

また帛紗といえば、ひとつの種類しかないと思われるかもしれないが、大きめの茶道具屋さんにいけば、無地帛紗でも『重め』『普通』『軽め』の3種類ほどが売っている。
包帛紗に用いるのは、軽めの「生地の薄い」ものが結びやすい。生地厚の帛紗では棗を上手に結べないからだ。
重めの帛紗は通常の点前では、帛紗さばきをしてもふっくらとした弾力があって、絹のよさを感じることができる。他人にはわかりにくいかもしれないけれど、帛紗も幾種類かを持ち、それらを使い分けるのも、ひそかな楽しみだ。

この帛紗は、芦屋の伯母のお古の干支帛紗。20年数年近く前のものだと思う。伯母は、淡交社が毎年販売している干支帛紗を買うのが楽しみであった。
淡交社の干支帛紗は、最近はこうした総柄のものはつくっていないけれど、わたくしも総柄の干支帛紗が好きなので、伯母のお古を出してきて、ときどき思い出しては使っている。伯母ちゃん、大切にしています。
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『亀屋伊織の仕事』山田和市著(淡交社刊)

和菓子が洋菓子と同じようにスポット浴びているのを、うれしく思っている私である。

お団子、餡玉、羊羹……といった昔から見慣れた和菓子も健在。和に洋のニュアンスを加えた創作和菓子も楽しい。デパ地下をぐるりと巡ると、和菓子の多様な姿に眼を見張ることになる。

雑誌では、お取り寄せできる全国各地の和菓子特集がひっきりなしに組まれるし、創作和菓子のレシピ集も多数出版。
和菓子を製作するいろんな方たちが、自作品をネットで展示し、販売の糸口にされているのを見かけることも増えた。
わが家にある和菓子関連本を数えてもきりがない。何冊あるだろうか。

今日は、最近本棚に加わった和菓子の本の話。(またまた本の話ですみません)

といっても、おやつにいただくような和菓子を取り上げたものではない。茶席で薄茶を服するときに供される「干菓子」が題材である。

干菓子とは、きんとんや薯蕷饅頭などの「生菓子」(茶席では主に濃茶に供されるもの)に対しての、乾いた和菓子を指す。
具体的にいうと、餅米の粉に砂糖を加えて型押しする「押物(おしもの)」や「煎餅」、蜜を煮詰めてかたちづくる「有平糖(ありへいとう)」、砂糖を寒梅粉(かんばいこ)で繋いで練った「生砂糖(きざとう)」などである。
生菓子(茶席では「主菓子(おもがし)」ともいう)は鉢に盛られることが多いけれど、
これらは乾いているか半生なので、縁の浅い木製の盆などに盛って、客前に出されるものである。



『亀屋伊織の仕事 相変わりませずの菓子』は、京都の二条通沿いに店を構える亀屋伊織の若主人、山田和市さんの初著作。亀屋伊織は、茶の湯の世界では有名な干菓子専門の菓子舗で、約400年の歴史があると伝えられている。現当主は和市さんのお父さん。17代目なのだそうだ。

亀屋伊織がつくる干菓子は、この世界では一頭地を抜いているとの高い評判を得ている。それは表千家・裏千家・武者小路千家の毎年の初釜をはじめ、他の重要な茶会でも、常にこちらの干菓子が使用されていることからもうかがいしるだろう。

本書は、裏千家の機関誌
『淡交』で連載していた文章に、豊富なカラー図版を加えて一冊にまとめたもの。わたくしは、一昨年だったかの連載中も、毎月待ち遠しい気持ちで読んでいたのだ。

というのも、つねづね「なぜ、亀屋伊織の干菓子は、独特の『茶趣』があるのだろう? どうして茶人が使いたくなる干菓子なのだろう?」と思っていたのである。たとえば、こんな文章を読むと、その秘密が少しわかるような気がする。

……お茶会のメインは濃茶です。この一碗のお茶をふるまうためにお客様を招き、おもてなしをするのですから、亭主は慎重にお点前をいたします。客の方もまた、この一碗をいただくために呼ばれて来ているのですから、亭主の一挙一動を見守り、お茶の練りあがるのを待ちます。主客とも大変な緊張のなかでいただくのが濃茶です。
 一方、薄茶は、濃茶をいただいた後に「どうぞお楽に」という気分でふるまわれます。薄茶席では煙草盆が用意され、時季よっては座布団がすすめられます。そうしてここで、干菓子を盛った器が運ばれてまいります。薄茶の場合、二服三服おすすめする意味から、干菓子は二種三種取り合わせて、少し多いめに盛るといいます。
 このように気楽な気分に供されるお菓子ですので、あまり肩肘張ったものよりは、ホンワカとやわらかく、作りすぎず、遊びのあるお菓子、父は「ざんぐり」といった言い方をよくしますが、そういうお菓子の方がふさわしいように思われます。

また、こんな文章にも、わたくしなどはズドンと胸を打ち抜かれてしまう。

……私どもでは、このお菓子のことを芸術作品か何かのように考えたこともございません。ただただお茶席のお菓子としてどうか、そのことをのみ考えて仕事を続けてまいりました。そのためには上手に作ることさえも、否定されることがあるほどです。私どものお菓子が、いわゆるお土産のお菓子と異なる点はこういうところであろうと思っております。箱から直接つまんで召し上がられても何の価値もないお菓子なのでございます。


和市さんは「干菓子とは味ではなく形を食べてもらうものだ」とも述べている。
器に盛ってはじめて100パーセントの力を発揮し、主客の交わりの中で花開く菓子。
茶席の菓子とは何か、について考えさせられる一書にちがいない。


※2回続けて、元いた会社の本を取り上げておりますが、偶然です。よその出版社の本も拝読しております。
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『チャノユ!』冬川智子著(淡交社刊)

犲磴い箸に、まずお茶に触れてほしい
わたくしが掲げている大きな願望である。

正直なところ、5、60歳を過ぎて、お茶を一から習いはじめても、挫折する方が少なくない。この年代は、若い頃ならすんなりと覚えられる点前作法に苦戦するのだ。なかなか覚えられないもどかしさで、へこみもするだろう。

お茶は生活文化であると同時に、芸事の一面も持つ。どうしたって芸事は、若いときに基本を身体に叩き込まれたほうが上達するのである。お茶は、芸事における「上手い」や「下手」という技術的な部分にまったく関係ないとは言い切れない部分がある。
技術的なところをまったく無視して、お茶への興味を保つのは、一般的にむずかしいだろう。

人生は長く、ずっとお茶のお稽古を続けていなくたって、若いときに一時期でも習っていた経験があれば、子育てから解放されるようになる4、50歳のときに「またお茶でもやろうか」とお稽古を再開するきっかけになる。
経験があれば、身体がなんとなく基礎を覚えているから、一から習うよりはすんなりお茶の世界に入っていけたりする。

若いときは技術的な点前作法を磨くだけだったお茶も、年齢を重ねてから再開してみたら、今度は、茶道具の取り合わせや、人間対人間の「もてなし」の面白さに眼が開かれるだろう。点前作法は若い頃にこそ早く修得できるが、「知的な趣味世界」は、大人になって、いっそうの深みに入っていけるものだからである。

もちろん、中高年になってからお茶をスタートし、続けている人がたくさんいることも存じている。しかし、人間として熟成したときに出会う茶の湯が楽しいものになるかは、若い頃に培ったお茶の素地があれば、より有効なのだ。
だからわたくしは、なるべく年齢の早い段階で、お茶の芽が育ってほしいな、と思いつづけている一面がある。


さて、とくに若手の初心者のために……お茶の本の話。

『チャノユ! お茶のお稽古、始めました。』というエッセイマンガが先月淡交社より刊行された。わたくしはさっそく息子(中1)に読んでみないか、と薦めてみたところ「お母さん、コレ面白いよ(^_-)」と。




冬川智子さんという漫画家による茶道のお稽古体験ルポである。
本書は、入門から通常のお稽古の様子、またお茶事デビューや、はじめて初釜へ行く様子が漫画でさらりと描かれていて、さながら茶道入門書的な顔を備えている。

漫画であるから1時間もあればすっかり読めるし、文字の入門書を読むのが面倒くさい、お茶の雰囲気ってどんなものかまず掴んでみたい、という人には判りやすいつくり。とくに大学生以下の人たちにおすすめしたい。

この冬川さん、まったく本当に茶の湯初心者らしく、お茶のお稽古に通うことになったものの、どんな服でいけばいいのか、持ち物はどうしたらよいのか、心底不安な様子がリアルに描かれる。
第一回目のお稽古に行くまでの「茶の湯って堅苦しいんじゃないか」「粗相をしないだろうか」と、多大な妄想との格闘。笑っちゃいけないが、「そうだろうなー」と、わたくしも思わずクスリ。


「うーむ、なんでもかんでも驚きすぎでは? 妄想しすぎでは? 感激しすぎでは?」と、突っ込みながら読むのも楽しい。たぶんとても素直な性格の方なのだろう。


お稽古に行ったら行ったで、まずはやさしそうな先生にホッとし、薄茶が意外に苦くないことに驚き、お点前の動作や茶道具の美しさ……ひとつひとつすべてが新しい発見であることを正直に綴っている。

本書は、茶道をすでに嗜んでいる上の年代の人にとっては「あー、そういえば私もそうだった! 若い頃はこういう気持ちでいたな。若い人のこういう部分をケアして大切に育てていきたいな」という犁い鼎瓩僚颪箸覆襪世蹐Δ掘⊇蘓桓圓縫廛譽璽鵐箸鬚靴討盍遒个譴修Δ澄

冬川さんと同じような初心者が読めば「みんな不安なんだ。わたしだけが特別じゃない。けれどお茶って面白いんだ」と深い共感を寄せることだろう。

現に息子も「ボクも久しぶりにお茶を点ててみようかな」とやる気になった。漫画だからこその即効性である。

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