一より習ひ

「稽古とは一より習い十を知り、
 十よりかえる元のその一」なのだそう。
 和の世界をマイペースで巡る
 植田伊津子の徒然記です。

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帰省

 先月も帰省したけれど、今月もちょこっと実家に帰省(兵庫県香住)。今回は、中1の息子と夫が一緒である。

わたしたち家族に加えて、長男・次女・三女夫婦の姪や甥達、総勢18人が集まった。
子どもがうじゃうじゃと家中のそこここにいるから、個々の名前を呼び間違えるのは当たり前。
まだおむつがとれていない子どもは、知らない間におしっこをもらしたりして「出た……」と泣きべそをかいているし、隣では「おかずが多い、少ない」「これはわたしの」と髪の毛を引っ張り合うようなケンカをはじめたりもするから、ともかく大人たちは自分の子どもに関係なく、すべての子どもたちの面倒を見なくてはいけない。
「コラー!」「午前中は勉強!」「ケンカしないで仲良くすること!」「ごはんの時間だからお片付けして!」……と、始終大にぎわいである。

この感じ……実家にいるという実感がすごくする。もっと歳をとって振り返ってみると、一族の皆で過ごす何気ない夏休みやお正月休みが、いちばん幸せだったと思えるような気がする。弟妹、そして小さな姪や甥たちがこうして集まるのは、人生においてほんの一瞬なのだろう。
なるべくわが息子にも、従兄弟たちとの楽しい思い出を胸に刻んでおいてやりたい。お盆の時期に帰省するのは、親としてそんな気持ちがある。


さて、今回帰省したのは、中学時代の部活動の恩師が定年退職され、その御祝いの会に出席するのが目的だった。わたくしは、中学高校と、吹奏楽部に所属をし、テナーサックスを担当していたのである。
今は到底吹けないだろうな、と思う反面、ときどき無性に集団で楽器演奏をしてみたい衝動にかられることがある。それほど、皆で楽器を奏でる行為は麻薬のような魅力、一体感があるのだ。

中学時代は100%部活動中心の生活で、朝練、放課後練習、夏休みの合宿……と、まさに吹奏楽一色だったといって間違いない。その他の学生時代の記憶は年ごとに薄れているけれど、部活動に汗した日々や仲間についてはいつまでも記憶の色が濃い。

さて、約30年ぶりに会う先輩や後輩たちは、わたくしも含めて年相応のおじさんやおばさんだったりしたが、それぞれの目に映っていたのは、一丸となって練習をしていた中学時代の同士の顔。先輩たちはやはりかっこいい先輩であるし、後輩はやはりかわいらしい後輩だった。

先生もお変わりなく壮健で、部員たち主催の
会をすごく喜ばれていたからお酒が進んで、会が終わるころには酔いつぶれてしまわれた。
そんな
先生の姿を見るのは、わたくしははじめてであった。きっと言葉にできないうれしさなのだろう。

思い出はうつくしい記憶しか残らない。そして、それを愛おしんで生きていけるものである。
今回の会のために東奔西走してくださった地元の先輩方に深く感謝。ありがとうございます。


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西田尚美さんと楽艸さんへ

「あー、植田さん、きものじゃないんですね!」と、近所のスーパーに行くような気軽なナリをしたわたくしを睨んだのは、女優の西田尚美さん

無印の折り畳み帽子に、バーゲンで買った2980円のサンダル、そしてジーンズに麻のチュニックのわたくしである。気合いが微塵も感じられない。
「申し訳ない……(モゴモゴ)」。今日は2人で
草履の楽艸さんを訪れたのであったが、わたくしはこの暑さにゲンナリして、洋服で行ったのであった。
西田さんはエライ。きものである。それも上等な宮古上布。




新里玲子さんの宮古上布の無地。ぎりぎりまで水浅葱を淡くしたような繊細な色合い、薄羽のようなはかなさをともなう風合いが好もしい。帯は同じく宮古上布の中曽根みち子さんのもの。青山八木にてつくられたとうかがった。
それにしても、洗練された感性を強く感じるきもので、猛暑に涼風を運んでくるような静けさがある。お世辞抜きに、西田さんに大変よくお似合いだった。
八木さんが仕入れるきものは、一貫して低温度の透明感があり、それがときとしてわたくしなどは物足りなさを感じたりもするのだけれど、ちょっと他の呉服屋さんは真似できないところがある。


ところで、なぜに西田さんとわたくしとが知り合いかといえば、今春、
に志田のきものの展示会で、わたくしが西田さんのお茶のきもののアドバイスをしたのがきっかけであった。
わたくしははじめ、この方が女優さんだと気づかず、ふつうのお客さまと同様「お茶のお稽古のきものがつくりたい」というご要望を聞いてご相談にのっていた。

ただ「エライきれいな人だなあ。こういう方がお茶のお稽古をしたいと言われている。なんと喜ばしいことだろう。どれだけそのお稽古場の皆さんの意気が揚がることか……」と思いながら、ご相談にのったのは確かで、その後、女優という職業を知らされて、『そうだったのか』と納得した。

に志田での相談を終えてお帰りになる際、ふと西田さんがわたくしを振り返り「植田伊津子さんですよね」とおっしゃった。名札をつけているわけではないのに、どうして、わたくしの名前をご存じだろうと不思議に思っていると、当方のブログ読者だという。

「に志田さんの展示会場で、皆さんのご相談にのりますから、どうぞおいでください」という記事も読んでくださっていたらしい。その事実に、今度はわたくしのほうが驚いてしまった。
重ねて「きものに関してもお茶に関しても、すごく勉強になります。またいろいろ教えてください」と。

「どれだけお役に立てるか解りませんが、ブログのプロフィール頁にメールアドレスが記してありますから、気軽にご連絡ください」と話したところ、実際、本当にメールのやりとりがはじまり、それ以後、一、二ヶ月に一度ぐらいの割合で、一緒にお出かけしたりして仲良くさせてもらうようになった。

ちなみに誤解なく申し上げれば、展示会でお目にかかったことがきっかけで、メールをくださったり、お付き合いがはじまる方は他にもたくさんいる。西田さんは特別な職業の方ではあるけれど、一般のお客さまでも、わたくしにとっては皆、それぞれ特別な方であることに変わりない。

先月から今月にかけて、急にわたくしのブログ更新が減ったとき、ブログ読者の方や知り合いから「植田さん 元気?」と心配をするメールを頂戴した。西田さんもそのおひとりであった。
インターネットは、本当にさまざまな方との縁を結んでくれると痛感している。

さて、それはさておき、ちょうど5月頃、雨草履を探していらした西田さんの相談にのっているときに、それならば……と思って楽艸の名物店主・
高橋由貴子さんをついでにご紹介したいと思って、こちらにお連れしたことがあった。

結局、西田さんは雨草履とは違うものに目が行き、わたくしもミイラ取りがミイラになるがごとく、それぞれ一足ずつオリジナルの草履をつくることになった。
わたくしはエナメルだけれど、めずらしく前ツボが渋い色調のもの。西田さんは夏草履。


西田さんがつくられた夏草履。高橋さんとわたくしの双方がなんやかんやとご相談にのりつつ、台・鼻緒・前ツボ・台に入れるクッションの密度についてまで仔細を話し合った。
この台、麻なんですよ。よく見かける籐の台よりもカジュアルにならず、パナマに似たエレガントさをもたらしながら、パナマより断然値段がお手頃。やわらかものと織物の両方に合わせられるように、どちらでも違和感のないテイストを選んだのがポイント。


本日は、それの試し履き&商品を引き取りに行く日。本当は夏がはじまる前に行く予定だったが、2人の予定が見事に合わず、ようやく今日うかがえたのである。

せっかくの機会なので、わたくしはきものを着ようと前日までは思っていたのだけれど、日中の気温予想を見て、また気持ちが折れてしまった。だって、きものを着た時点で「熱中症かも?」って錯覚するほどなんだもん。
確か、先週も先々週も、先月出張した関西でも「植田さん、なぜにきものじゃないの?」と突っ込まれてばかりである。今日も、西田さんの開口いちばんがそれ。

基本的にきものを着ようが、洋服だろうが、人間の中身は何も変わらないが、ここ数年の間に、周りがそれとなく要求をするわたくしらしい衣装は「きもの」というようなことに変化しつつあるのである。

立秋も過ぎたことだし、気を取り直して、ちゃんときもの着ますよ! 猛暑のきもの術について、楽艸の高橋さんからありがたいお話を聞いたので、それを実践してみようと思います。
(マニアックなきもの話は、
きもの*BASICルールのほうにまた書きます)


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大阪の夜

関西に出張。

仕事が終わってから、久しぶりに姉妹や姪たちといっしょに食事をしたり、長らくご無沙汰していた経営コンサルタントの山田六郎氏に会ったりして、なごやかに過ごす。

山田六郎氏、ろくちゃんは、くいだおれ創業者の山田六郎の直系の長男で、わたくしとはふたいとこという関係。おじいちゃん同士が兄弟で、わたくしたちは誕生日が数日違いという同級生なのだ。


山田六郎氏。40を過ぎた大人をつかまえて、「ろくちゃん」「いつこちゃん」というのも気持ち悪い話だけれど、身内同士はいつまでも昔のままの呼び名である。


現在の彼は、会社経営のアドバイスや地域行政の観光業務に関する提言をおこなっていて、大阪観光大学観光学研究所の客員研究員でもある。

昔から一風(いや、かなりというべきか。私がまともに見えるほど)変わった人物で、先代の六郎おじさんの性格をいちばん継いでいるのがろくちゃんのような気がする。

もちろん、くいだおれ元会長の(柿木)道子伯母さんも強烈な個性で、人心をつかむエンターテイナー。(道子伯母さんは父のいとこに当たる。昨年、家の光協会というところから『くいだおれ波乱万丈記』という本を上梓。はっぴを着た独特なスタイルで、ときどきテレビに登場しているのでご存じの方がいるかもしれない)。

「いったいどうしてこんなところを知ってるの」というようなアジア料理のお店に案内してもらい、互いの親戚の近況や仕事の話で盛り上がり、旧交を温めた。

「大阪にもっと来たらいいのに」
「そしたら、たこやきも串カツのお店にも連れていってくれる? 私はあんまり食べたことないんやけど。通天閣にも一度上ってみたいわ」
「どこでも連れていくよ。それにしても、いつこちゃんは仕事がんばってるんやなあ」
「(笑)。私もろくちゃんみたいなある種の変人だから。私を好きな人もいれば、嫌いな人もぎょうさんいますよ。お上手はいえないし、口は悪いし。ハハハ」


帰り道、大阪駅の地下街で「なあ、コレおもしろいやろ」とろくちゃん。

思わず指さしたポスターを見て吹き出した。大阪センス全開の逸品である。急いでカメラを構える。
よいネタが拾えた。ろくちゃんありがとう。



なんといいましょうか、「大阪」いう実感がすごく湧く。その土地にはその土地になじむ広報のツボがあるのだなあ。


「辛抱欠ける」「マナー守る」「走るな」「落ち着いて一本待つ」


東京でここまでの濃さは「ありえなーい」。

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お茶のお仲間と忘年会

 雑誌などで活躍されている、ある着付けの先生宅を訪問。
ちょうど私はきものを着ていて、「じつは、いつも右側の袖がちょっと短くなる」という四方山話をしたときに、「長襦袢の衿合わせの左右が少しだけ違うのよ。下前のほうを強く引いているから首についているでしょう。上前のほうの半衿は首に触ってないじゃない。左右を同じ加減にしたらすぐ直ります」とアドバイスしてくださった。

『そうだったのか!』。
じつは昨日、一衣舎さん宅にうかがっていて、「左(上前のほう)は腕のぐりぐりを隠すぐらいの裄の長さでおさまるけれど、右(下前)のほうは裄がぐりぐりより上に上がってしまう。私はいつもそうなる……」という話をしていたのだ。

先生が「よかったら今、脱いでごらんなさい」といわれるので、帯を解いてきものも脱ぎ、長襦袢の衿の合わせ加減のコツを直伝してもらった。
自己流で着ているとクセが強く出るものだ。こうして教えてもらうことが、とても新鮮である。

「きものを着るのにどのくらいかかります?」
「10分くらいです。お化粧とヘアには20分ほどかかりますが」
「(笑)。着慣れているわよね。でも少しマジメに勉強したら、あなたなら人に上手に着せられるようになるわよ」
「そういうものですか。へえ」

人に着付けをして差し上げる機会がないわけではない。
お茶の先生に頼まれて、茶会のときにきものを着られない方の着付けをするときがあるし、きもの初心者の後輩たちに着付けをお教えする機会もあるのだけれど。
私が本格的に学ぶということは、アタマになかったなあ。


さて、今日は夕刻よりお茶の仲間・土曜稽古組有志による忘年会である。
恵比寿のゆめの庵さんにうかがって、10人近くがにぎやかな一夜を過ごした。

ゆめの庵の岸さんのはからいで、料理とお酒が終わったあとに、岸さんが手づくりされた主菓子と御抹茶で一服いただく。
ただし蔭点(かげだて)ではなく、点前は鉄瓶や棗・茶碗を店内のスペースの一角に用意くださっての自前点てである。なんだかお茶事をしているみたい。



なんで笑ってるんでしょうね、わたくし。
着ているきものはいただきものの大島。飲み会、旅行には大島が便利です。帯は厄除けの品としてもらった更紗。わたくしの故郷では「厄年は長いものを身につけるとよい」という言い伝えがあり、両親が「伊津子には帯だな」と、プレゼントをしてくれました。


今年もつつがなく一年が過ぎてゆく。
お稽古の時間を共有してきた仲間たちが、「よいお年を」という挨拶を交わして三々五々帰途につく。

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紅一点の飲み会でした

昨夜は、仕事関係者たちと忘年会。総勢8人のうち、女性はわたくしだけという集まりだった。男性陣のペースに合わせて、ひたすら食べて、しこたま飲む。

不景気だからこそ、いかにして新しい仕事に取り組むかの話をしていたのだけれど、だんだん社内の噂話や同業他社のブラックな話になって、グチになって……というのは、聞いているほうがつらい。ようは暗いんです(>_<)。

その点女性は、どの年代と飲んでも明るいし、バイタリティーを感じてしまう。「女子飲み」のほうがおもしろいんだなあ。

なんとか家に帰り着き、朝四時に起床。飲み過ぎると、朝早く目覚めるようになってしまった。手持ちぶさたなので、夜が明けるまで灰形の練習をする。



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誘惑

今日は貸しイベント会場や一軒家のギャラリーの下見で、都内各所を巡っていた。
ふだんとは違って、それぞれの楽屋内をいろいろ見せてもらったりする。いつもはきれいにされているギャラリーオーナーさんの普段着姿に出会えたりして、不思議な感じだった。

夕方、神楽坂を最後に下見が終わり、「ご苦労さま」をかねて数人で飲みに行く。このところ私は真剣なダイエットをしていて、「痩せて見えるきもの姿」から「錯覚ではなく、本当に痩せている人のきもの姿」になるべく、涙ぐましい努力をしているのだけれど、2週間ぶりにビールを飲んでしまった。
すぐに酔いが回る。そして1杯目のグラスも早々と空く。なしくずしになりそうで怖い。どうする、私。





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稲越功一さんを偲ぶ会

淡交社在籍時代に担当したことのあるカメラマン・稲越功一さんが肺癌のために2月25日に亡くなった。訃報記事を朝刊で見つけたときは、言葉が出なかった。
まだ69歳でいらしたという。残念というより他ならない。

月刊誌『なごみ』で、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の『奥の細道』を現代の視線で解釈し直す連載をおこなったことがあった。
歌人であり早稲田大学教授である佐佐木幸綱先生の原稿に、稲越さんの写真という贅沢なコラボである。その連載は、のちに『芭蕉の言葉』という単行本になった。

私は、当時、かなりひんぱんに原宿駅そばの事務所に通っていた。そこは古いマンションの一角だったけれど、多くの写真集や洋書がきちんと正しく美的に整理されていて、稲越さんの几帳面な性格がよく表れていたのを思い出す。

稲越さんは折り目正しいジャケットを着ていらしても、かならず足許は、洗いざらしの真っ白いスニーカーがトレードマーク。銀座の一等地の和光で個展をされたときも、しゃれた写真ギャラリーでも、また対談をおこなった小料理屋でも、それが変わることがなかった。
なぜスニーカーかと何気に問うたとき、「これが落ち着くんだ。一番だよ」と、はにかみながら答えてくれた。

今日、表参道で偲ぶ会が催された。会場では白いカーネーションを献花。
遺影の額のなかの稲越さんは、いつも通りの笑顔でした。まわりはこんなに胸を詰まらせている人たちが集まっているのに。




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一二三茶会

淡交会四谷青年部のお茶会「一二三会」のために、世田谷区北烏山の寺町通りにある妙壽寺へ出向く。世界文化社の編集者、松本詩郎さんが誘ってくださった。

松本さんは、四谷の秋山宗和社中のひとりである。偶然、門前で、その秋山先生にばったりと出会った。
私が秋山先生と仕事でつきあったのは数度しかないが、東京美術倶楽部などのいろんな場所でしばしばお目にかかっていた。
淡交社を退社した旨の電話を差し上げて以来はじめてだったので、しばし近況を報告する。「元気そうじゃないの」と、いつも声をかけてくださるやさしい先生である。
私が淡交社に入社してまもない頃から存じ上げているが、こちらは白髪交じりの髪になっているのに、先生はいつも若々しく、飄々とされていて、お変わりにならない。

この茶会に秋山先生がいらしたのは、特別な訳があった。秋山先生が、上方舞の日本舞踊家の故・武原はんさん宅の古い梅の木の枝を、みずから茶杓に削られ、四谷青年部に寄贈されたのがきっかけの茶会だと、松本さんよりうかがっていたからである。心待ちにしながら席入する。

12時席のメンバーは約14人ほどで、物腰のやわらかい男性が、心配りをして場を和ませてくださる。
待合で、主催者の青年部の方が席入するメンバーをそれぞれをご紹介くださると、心配りの男性は、茶道具の老舗「清昌堂やました」5代目主人の山下寛一郎さんであった。博学多識の方がご一緒の席だと席はひときわ楽しい。よい席に入れていただいた。

会場となった妙壽寺庫裏客殿は、昭和初期に港区六本木にあった旧鍋島侯爵邸を移築したもので、大名家らしい雰囲気を漂わせた建物。広々とした書院に10数名の客という贅沢な一会である。
書院床の大徳寺円山伝衣(でんね)老師筆の「一二三」の横軸が、堂々とした風格をただよわせている。道具組には、ゆかりの裏千家14世淡々斎好みのものが取り合わされていた(伝衣老師は淡々斎の師)。



ひさご型の「六瓢(むびょう)釜」(瓢が6つ表されていて、『六瓢(むびょう)』=『無病息災』にかけての名。鐶付も瓢のかたち)。淡々斎お好みの寿棚に棗や柄杓を飾り付けたところ。


席主が「本来ならば2席設けて、濃茶、薄茶と差し上げるべきところですが、このすばらしい席をじゅうぶん堪能いただきたく、今回は『続き薄茶』の趣向でさせていただきます」と説明された。その言葉が素直に納得できる趣である。東京とは思えない濃い緑が、安らかな気持ちにさせるくれるのだ。開放的な室内といい、初夏のおだやかな風といい、ことのほか気持ちのよい一日である。

続き薄ともなれば、約1時間弱ほどにもなるけれど、席主と正客が「打てば響く」ような会話を交わされるので、またたくまに時が過ぎていく。
席主は、おそらく私とさほど変わりない年齢だろうと思われるのだが(淡交会の青年部は50歳以下の組織)、すべての道具について、淀みなく、さりとていかにも覚えてきました風でもなく上手にお話しになって、冴えた亭主ぶりであった。
私の知る年上の先輩方でも、このようにさりげなく亭主ができる人は滅多にいない。四谷青年部には実力者がたくさんおいでなのだろう。

心づくしの点心は、青年部の方が大半手ずからおつくりになったそうで、手づくりならではの滋味あふれる献立であった。これらをご用意になるのもたいへんなことだろうと思われた。


正客の山下さんが皆に気遣いをされて、初心者の方もそうでない人も、とてもくつろいだし、四谷青年部の皆さんのもてなしがこまやかで、ほんとうによいお茶会であった。どうもありがとうございました。


JUGEMテーマ:茶道


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結婚パーティ

若くてチャーミングな知り合いが、10年の付き合いを経て、昨秋結婚した。今日はその結婚披露パーティである。

樺澤貴子さんは、『京都で、きもの』(淡交社刊)で知り合ったフリー編集者。当時私は、ひとりできもの雑誌をやっていく編集方法に限界を感じていて、単に出版社の言うなりではない骨のあるフリー編集者と組みたい、と願っていた。「きもの」「和」の分野に強いけれど、変に業界ズレしていない人。しっかりとした筆力が必要なのは、口にするまでもない。そんなとき、他社の編集者友達に紹介してもらったのが樺澤さんであった。

はじめて会社に来てもらったときは、周りがパーッと明るくなるような華があった。話をしてみると、物腰は丁寧で、編集実績もある。ご本人もやわらかい感性の京都のきものが好きだという。ぜひお願いしたい、とお付き合いがはじまった。

樺澤さんは、慎重かつ、ていねいに頁を構成し、原稿を執筆してくれた。人間のできることには限界があって、うちの仕事以外に2、3社の仕事を掛け持ちしながらの忙しさだろうに、書き直しを求めても、期日の朝いちばんに確実に原稿がくるのである。それも、より意図に添った完成度の高いものが。これは口でいうほど簡単な事ではない。

長いお付き合いではなかったが、仕事で濃密な時間をともに過ごしたのは間違いない。
私は昨年限りで会社を去ったが、彼女は人生の門出の場に呼んでくださった。入口では、幸せそうな顔をした樺澤さんが、お客さまを出迎えていた。


春らしいイエローの無地の振り袖に、丸帯を矢の字に結んだ個性的な装いである。きものスタイリストの秋月洋子さんが、着付けをされたという。
会場はあふれんばかりの人いきれだ。ご夫婦のお人柄か、皆が一様に「ニコニコ」しているのが気持ちよい。
本当におめでとう。これからの二人が幸せに包まれて歩いていけますように。


私はといえば、春のおめでたい場に、はんなりした装いのものを身につけたくて、ぎをん斎藤でつくった「御所解(ごしょどき)」を締めた。きものは「に志田」で染め替えてもらった変わり小紋。知り合いに「ホントよく似合っているわよ」と褒めてもらったが、中身は悪たれ小僧である。

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